「ドンキホーテ2」の記事で書いたんですが、
私、「協調性がない」だとか、「自分勝手」
「周囲を見ない」とよく言われました。
それは前の会社の時だけでなく、信用金庫を
退社した時の支店長にもよく言われました。
でも、これらの言葉、当時の上司からのみ
言われたんですね。
同僚だとか後輩たちから言われたことはなく、
彼らからはむしろ逆の評価をもらって来ました。
自分で言うのは信ぴょう性が薄いですが。
それらの言葉は多くの場合、都合の良いように
コントロールしようとする側から、そう動かない
目下に対して発せられる言葉だと思います。
自分の思うように目下の人間が動かない場合、
「協調性がない」、「自分勝手」、「周囲を見ない」
というような言葉が相手に発せられがちです。
実態は体のいい罵倒言葉であり、ろくでもない
先人は都合のよい言葉を考えたもんだなあとも
思います。
「人は叱られてこそ成長する」
これもその種の言葉ですね。
これ、本当っぽく聞こえますが、ウソというか
少なくとも正しくはないです。
成長するのは、自分が言われたことや経験した
ことから自分で「次はこうしよう」と思った、
或いは、決意した時からです。
その契機の1つとして、「人に叱られた」
ということはあるかもしれません。
でも、多くの場合、人を叱るというケースは
叱る側の単なる感情のはけ口で、「・・・成長
する」なんてのははけ口にする際の言い訳です。
そういうケースにおいて、
「そういうことをするとこの人は怒るから、
次からはそういうことはしないように。」
と思うこともあるでしょう。
でも、その「そういうことはしないように
しよう」ということが、不正に異議を立てず、
口をつむることことだったとしたら?
それは成長などではなく、むしろ退化です。
その相手におもねることによって何らかの
利益を得るなら、その人にとっては成長かも
しれませんが、人間としては退化します。
ですので、
「人は叱られてこそ成長する」
という言葉は、叱る側が自身の行為を正当化
するための方便だろうと思っています。
本当に成長させるつもりなら、叱るんでは
なく、諭すべきです。
格言って、結構、権力者側に都合のいいものが
多いです。
「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も」
「喧嘩両成敗」などもそうですし、
アラビア語を知らなければ、
「読書百遍、意自ずから通ず」といえど、
いくら読んでも意味はわからないです。
アラビア語を知らない方の誰か、何度もこれを
見て、文章の意味が分かった方、います?
本当にそれが正しいなら、アステカ文字やイン
ダス文字などはとっくに解読されているはずです。
2024.10.6
いや、全否定をしているわけではないです。
その言葉自体には意義や重みがあったとしても、
言う方が一方通行、権力を持った側から持って
ない方に使われる場合は、聞く必要がありません。
自分より下手な人を見つけると、喜び勇んで
ゴルフを教えようとするおっちゃん連中の
言葉も同じ理屈で、聞く必要はないです。
聞くとかえって下手になるか、上達への道が
閉ざされます。
同様にそういう上司の言葉を聞いてしまうと、
人間としての上達の道が閉ざされてしまいます。
ただ、言ってもわからない人がいるのもまた
事実で、そういう場合、叱り飛ばす、愛の鞭
が必要というケースがあるかもしれません。
「刑務所に入れる」というのも愛の鞭の一つと
言えばその一つです。
人間、難しいです。