剣豪・宮本武蔵は、「鍛練」という
言葉を次のように定義したという。
千日の稽古を鍛という。
万日の稽古を練という。
万日というと、単純計算では、毎日
欠かさず稽古を続けても27年以上の
歳月が必要である。
彼が実際にそれだけの稽古を
こなしたかどうかは定かでない。
千日,万日というのは、例えば
「鶴は千年、亀は万年」と同じような、
一種のたとえなのかもしれない。
しかし、その道の達人の域に到達した人が、
それまでの過程でほぼ毎日30年間、あるいは
それ以上の修行を続けてきたとしても、
信用できない話ではない。
これに比べ、自分はどうなのか?
どう計算しても、「鍛」の域に
すら到達していない。
近い将来これをクリアできても、
次に 「練」に向けての長い道のりが
控えている。
気が遠くなるばかりだ。
2018.11.07
人に言う時、特に教え導く時は多少
オーバーな言い回しになることはあります。
でもそれで聞く相手が「ほおっ!」と
感動するのであれば問題ありません。
目的を達成しています。
そして、皆さんも、まだまだ俺は修業が
足りないと思ったでしょ?
でもまあ、たかがゴルフでもあります。
宮本武蔵を目指しても良いけれど、
ほどほどにゴルフをお楽しみください。