周囲の人々も
始めのうちはどよめいていたが、
次第に無言となり、
お通夜への参列のような重苦しい雰囲気
の中で主人公のプレーを見つめていた。
しかし、何発目だか知らないが、
白球は遂に池を飛び越えて
グリーンにナイスオン。
この時を待っていましたとばかりに、
18番グリーンを取り囲む大ギャラリーからは
狂喜乱舞の大歓声が上がったのだった。
おそらくこのストーリーでは、
全米オープンという檜舞台における
千載一遇の優勝のチャンスや
シード権などを捨ててまでも、
目の前に立ちふさがる難題に
チャレンジする男の意地や甲斐性などを
表現しようとしたのだろうが、
あまりにも非現実的に過ぎることは、
これまでの考察からも明らかである。
2019.5.14
人にはいろんな受け止め方がありますが、
それによって棚ぼた勝利を掴んだ選手が
素直に喜べるのか?
という部分もあります。
成功するまで打ち続けた選手がタイガーで、
その結果、優勝した選手が、例えば、ミケルソン。
「狂喜乱舞の大歓声」は起きず、
「ざわざわ」「ざわざわ」「ざわざわ」
となる気がします。
或いは、打ち続けた選手が我らが松山で、
その結果、優勝した選手がタイガー。
日本側から松山選手に対する賛辞はなく、
タイガーの優勝にも水を差し、
結果、アメリカマスコミに松山選手が
叩かれるという感じがします。
少なくとも称賛はしないでしょう。
ストーリーセンスのない人が権限を
握ってると起きがちなことでもあります。
「意外性あるだろ?」
「過去にこんな結末あったか?
絶対に誰も予想できんわ。」
「この良さがわからん?
お前、センスないわ~。
だからダメなんだよ。」
とでも、鼻高々だったんでしょうか?