ごるふのどんなところが好きか?
と聞かれた時、
皆さんはどのように答えるだろうか?
私の場合、緑がいっぱいのフィールドを
歩くのが気持ちいいわけではない。
会心のドライバーショットを
放つのが嬉しいのでもない。
ごるふがストレスの発散になる
などと考えたこともない。
バーディーパットを沈めた時の
えもいわれぬ快感が好きなのでもない。
私は、
ごるふの難しさがたまらなく好きなのだ。
若い頃の倉本昌弘は、
ごるふを難しく考える必要などない。
単に上げて下ろすだけだ。
などと言っていたが、とんでもない。
それができないから、
我々凡人はこれほどまでに苦労するのだ。
やはり、ごるふは非常に難しいと
断言して間違いなかろう。
実はこの難しさが、
私にとっては何とも微妙な度合いの難しさなのだ。
もし、少し頑張れば熟練してしまうものだったり、
逆に全く歯が立たないほど難しいものだったら、
私はとっくの昔にごるふをやめていたはずである。
しかし、-発狂しそうになるほど難しいのではあるが-、
よく考えてみると、まるっきりダメ
というほどでもなさそうだ。
もう少し努力すれば、もう少し上達するのではないか?
辛うじてそんなふうに思わせてくれる難しさなのだ。
それでもあまりの難しさに耐えかねて
やめようかと思ったことが何度もある。
自分の限界点のようなものが見えてきて、
この先の自分自身に絶望するのである。
そんな時には、
いや、ここでやめてしまってはもったいない。
もっと頑張れば、きっともう少し上達するのだ。
と自分に言い聞かせてきた。
これまで10年もごるふを続けてこれたのは、
この考えのお陰だと自分では思っている。
それにしても、なぜそれほどまでに
ごるふにこだわるのか?
自分にとって、
ごるふとは一体なんなのだろう
と考えたことがある。
仕事でないことは確かである。
しかし、断じて遊びではない。
明らかに趣味のはずなのだが、
楽しければいい、というのとも違う。
私にとってごるふとは、
言葉では表現できない特別な存在なのだ。
2018.3.14
そうなんですよねえ。
そうなんです。