2度目のラウンド機会を得たのは、
デビューから3ヶ月後のことである。
当時は埼玉県民ごるふ場以外の所で
プレーすることはほとんどなかったのだが、
競争率が高く、予約は困難であった。
8月、9月と落選が続き、ようやく10月に
チャンスが巡って来たのだ。
3ヶ月の間に、おそらく40回ぐらいは
練習場へ通いつめたはずである。
バフィーもそこそこ打てるようになっていた。
これならある程度は勝負になるかもしれぬ。
アイアンは依然としてハーフセットの
ままだったが。
またしてもW課長,S課長の黄金コンビ?
の組に入った。
あとの1人は、前回同様に誰だったか忘れた。
ご両人のイメージがそれだけ強烈だったことの
証左というより他にない。
頼みの綱であったバフィー君は、
2~3発いい当たりをかましてくれた。
そのせいかどうかわからぬが、
スコアは114だった。
上出来である。
ラウンド後に開かれた反省会の席上で、
Iの114は大したものだという話題になった。
その中で、K課長が真面目な顔で聞いてきた。
おまえ、OKパットもちゃんと
1打として数えたのか?
当たり前である。
そんなことぐらい、
小学生の時から知っている。
彼は、自分がビギナーだった頃は
数えていなかったのだそうだ。
その後も宴はわいわいと続いたのだが、
120を叩いたS氏だけが、
決まり悪そうに隅っこでおとなしく
酒を飲んでいた姿が印象的であった。
この日のベストスコアは、
I氏(別人)の83。
会心のラウンドだったようである。
それ以来、電子のメンバーにとっては、
このスコアが埼玉県民ごるふ場での
コースレコードになったのだが、
自分がこの記録を塗り替えるのには、
それから実に6年の歳月を要したのだった。
2018.7.10
ゴルフを始めた時にネット予約が既に存在した
方には信じられないかもしれませんが、当時は
ビジターの直接予約などとんでもない話で、
メンバーさんが同伴してくれて初めてラウンドが
できるというコースがほとんどでした。
そのため、自由にゴルフを予約し、ラウンド
したいという気持ちからメンバーになりたいと
多くの人が思っていたのですが、まだバブル前。
給料や貯金の増加をはるかに超えるスピードで
ゴルフ場会員権の価格は上昇を続け、サラリー
マンにはまず無理という時代でした。
ピーク時には、1,000万円以下のゴルフ場など
なかったと思います。
そのため、この辺りでは数少ないパブリック
コースである森林公園に何十枚ものハガキで
応募し、
半田リンクスには所定の時間になると仲間
全員で申込みの電話をだったんですが
それでもなかなか予約は取れませんでした。
GORAというサイト(楽天の傘下に入る前)で
予約を取れると知り、恐る恐る予約を
取ってゴルフ場に向かい、受付をする際に
紹介者欄に「GORA」と記載するわけですが、
本当にこれでプレーさせてもらえるのか?
と思ったものです。
大体、名前が「GORA」などと、
ふざけていますし。
受付の女性が「大丈夫ですよ。」と
言ってくれても「本当に?」と
また尋ねてしまうしまうほど不安でした。