小学校4年生の時、都内から松戸に引越した。
新しい家のすぐ近く、わずか徒歩1分半の地点には
広い空き地があって、工事の着工予定を示す
砂利の山がいくつも積まれていた。
ここに一体何ができるのだろうか?
遊びに最適な施設だったら大ラッキーと思って、
親に聞いてみた。
ところが返って来た答えは、「ごるふ場」 だった。
実際にでき上がったのは、ごるふの練習場。
生まれて初めて見る建造物だった。
高々とそびえ立ついくつもの鉄の柱と巨大な
ネットは、どう考えても周囲の景観にミスマッチ、
空間と資材の無駄使いにしか見えなかった。
ここで何が始まるのかと思いきや、
なんのことはない、中年のオジさま達が
パカスカ球を打つだけではないか。
時々興味本位で外から様子を眺めたりしたが、
日曜日ともなると、2階打席まで
ほぼ満杯の賑わいぶりである。
だが、こんな所で球を打つ理由が、
その頃の私にはどうしても理解できなかった。
ごるふをするならごるふ場へ行けばよいのに、
なぜこんな居心地の悪そうな場所を選ぶのか?
考え抜いたあげくに到達した結論は、
経済的な理由などでごるふ場へ行きたくとも
行けない哀れなオッサンどもが、
ここでごるふみたいなマネごとをして
自分を慰めているのだ、
ということ。
そんな私が、今では週末にせっせと練習場へ
足を運んでいるのも、妙な因縁である。
練習場は、人間観察には
うってつけの場所ではなかろうか?
そこに20人の人々がいれば、
スウィングは20通り存在するから、
それらを眺めているだけでも充分おもしろいし、
取り組みの姿勢にその人の性格が表れるから、
これまた愉快である。
しかし、かく言う私自身は、周囲の客の目には
どんなふうに映っているのだろうか?
客観的に判断してみると、これがどうやら、
相当変なおじさんに違いない
との結論に達するのだ。
何しろ、練習時の私の様子といったら、
1球打つごとにしかめっ面をしたり
首をかしげたり。
涼しげな表情で打つことはまずほとんどない。
はたから見た限りではナイスショット
であるかのようであっても、打った本人は
ちっとも納得していない。
今のは当たり所が悪かったとか、
スウィングそのものが良くなかった
と思って反省し、
みけんにシワを寄せては
しばらくうなだれているのだから、
これはもう、ただの偏屈オヤジ以外の
何者でもない。
きっと周囲の人々はそんな私の姿を見て、
暗~い性格の奴だと思っているのだろう。
19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した
ジョン・ヘンリー・テイラーという選手は、
ごるふへの取り組み姿勢があまりにも
真剣かつ真面目過ぎたせいで、
「ごるふを嫌うがごとく球を打つ」
選手と評された。
私がテイラーほどの腕前の人と同列ならば
身に余る光栄だが、私の場合は単にヘタなだけ。
あなたが練習場内で、打席の中でうつむきながら
思案に暮れている男を見かけたら、
それはもしかしたら、私かもしれない。
2018.5.11
確かにゴルフをしなかった頃は、
練習場でゴルフなんて何が面白いんだろう?
と思ったものです。
でも、今、練習場は楽しいんです。
ミスショットをしてもOBにならないし、
こうかな?ああかな?で簡単に
ショットを直せますし。
むしろ、それが出来ない本番の方が辛いです。