智春と同年代のプロである横田真一の
話では、智春は中学生の頃から300ヤード
以上ぶっ飛ばす怪物だったそうな。
何しろ、人よりも遠くへ飛ばすこと
こそが、尾崎家の最重要家訓。
たとえ中学生であっても、それぐらい
飛ばさなければ、恐~~いお父様が
許してくれなかったのだろう。
叩けば曲がるのが、ごるふの道理。
彼がテストに失敗を重ねてきた理由は
ここにあると、私はにらんでいる。
だったら、もう少しゆったりとドライバーを
振ったらよいではないかということになるのだが、
そうは問屋が卸さない。
ある日、智春が球を打つ姿を見て、
父は激怒しながら一喝したそうである。
「智春!テストに合格するためのごるふなんか
するんじゃない!
おまえは、選ばれし人間なんだ。
そんなスケールの小さなごるふで、どうする!」
気の毒な息子だ。
2020.10.11
「選ばれし人間」
そういう人間が存在するという考え自体は、
別に悪くはないと思います。
考えること自体は自由ですし。
でも、他の人を指してそう考えるのではなく、
自分や自分たちがそうだという考えた場合は
危険があります。
そうだから他の人たちに尽くそうではなく、
逆に、「だから他の人たちは自分たちの犠牲でも」
という場合、古今東西、悲劇が待っています。
ヒトラーのアーリア人至上主義もそうですし、
大量殺戮が起きた場合、たいてい、この考えが
ちらちらしています。
一方で、全ての人間が「選ばれし人間」という
考えも出来ますし、「人間は誰もが使命を持って
世の中に生まれる」という考えも出来ます。
「そんなん何もなく、全てはただの偶然」
と考える人もいると思います。
どれが正しいのかはわかりませんが、
「人間は誰もが使命を持って世の中に
生まれる」
という考えは、世の中を見ていると納得
出来る部分が結構あります。
歴史上の人物では、歴史に残るような
ことを成し遂げると、じきに亡くなるという
例が非常に多いです。
で、私は私で勝手に
「このブログを書くことが使命なのかも」
と思うことがあります。
ですので、このブログの連載を終えた時に
私の寿命も尽きるような気もし、
それが怖くて、せっせせっせと更新を続け
させて頂いています。
マグロが泳ぎ続けるのと同じです。
「よく毎日」と言って頂けることもありますが、
ビビッて書き続けているだけとも言えます。