上手くなるためには、
練習しなければならない。
だから練習する。
しかしうまくいかない。
それでも練習を続ける人は、
なかなか根性がある。
暗闇の中で一筋の光を探し求めて、
今日も練習にいそしむ男の姿がある。
そんな苦闘の中で、
1つのひらめきを覚えることがある。
練習中にふと思いついた時、
あるいは雑誌などから得た技術情報を試して
みた時、ショットが突然良くなることがある。
おやっ、と思って続けて試してみる。
そこそこ打てる。
なるほど、そうだったのかと思い至る。
後日、その人は私に打ち明ける。
この前、ここをこうしたら良くなったんだ、と。
目は希望に満ち溢れ、ついに
長いトンネルから出る時が近づいてきた、
もうわかった、大丈夫だ、そんなふうに
訴えかけているように感じられる。
そんな時、私の方は、実は内心では
リアクションに非常に困ってしまうのだが、
一応は、へへぇ、そうですか、良かった
良かったという感じで話を聞くことにしている。
真実を語ろう。
その人の悟りは、実は幻である。
彼は、ふとしたことから妖艶で甘美な
幻を見たに過ぎないのだ。
だから、残念ながら次回の練習の時には、
同じ幻を見ることはほとんどない。
運良くしばらくの間見続けることが
できたとしても、少し時が経てば、
幻は目の前から姿を消す。
その人が語る、
ここをこうしたという内容自体が、
技術的に正しい見解かどうかは、
慎重な検討を要する。
時々的外れなことをいう人もいるのだが、
いずれにしても、その人はその時、
間違いなくナイスショットを連発したのだ。
だが、これが一瞬のはかない幻に終わって
しまうところが、ごるふの難しさなのである。
しかし、幻は見た方が良い。
その中で、現実に進化していくものもあるからだ。
練習量が多ければ、幻を見る回数も多くなる。
私などは、これまでに数え切れないほど
多くの幻を見てきた。
くじけることはない。
幻を見た回数と腕前の進歩は、
比例関係にあるのだ。
2018.5.20
これ以上、何も言うことはありません。
「そうなんだよ。
本当にそうなんだ。」
と、思われる子羊の方々が目に浮かぶようです。