一緒にラウンドする人は、いつもいつも
仲良しこよしの人ばかりとは限らない。
時には、大事な取引先の人と一緒に
プレーすることだってあるだろう。
そんな時、あなたは自分の未熟な性格を
全部丸出しにしておいて、果たして
平気でいられるだろうか?
ラウンド中、大抵の場合、同伴者は愛想の
いいことを言ってはくれるが、自分が
実際にはどのように思われているか、
気付いていないのは本人だけ。
この恐ろしさを、しかと
認識する必要がある。
ペナルティーを払うには払うが、
誰が見たって100%同情できる
シチュエーションであることを理由に、
じゃあ次は3打目ということで許して
もらおう(ホントは4打目)、
などという考え方は論外。
その人は、勝手にごるふの新しいルールを
作る権限でも持っているのだろうか?
こんなのは、もはやごるふではない。
ましてやそれが1打のストローク数を
争うコンペであったら、他の競技者に
対して大変失礼なことである。
もし、結果的に1ストローク差で
自分が優勝したりしたら、
それを本当に喜べるだろうか?
誰だって、こんな目に遭わされて
大事なストローク数を失いたい
とは思わない。
しかし、時には耐え難きを耐えねば
ならぬのがごるふの本質。
それがイヤだと言うのなら、
ごるふなんぞサッサとやめるべきである。
2018.8.26
三十三間堂で行われていた「大矢数」。
その最高記録達成者として、1686年の
紀州藩「和佐範遠」の名が未だに
残っていますが、その方。
ウィキペディアには
「フェア・プレイの精神に欠ける
ところがあり、射る度に少しずつ
前に進んだという。」
という記述がされています。
本当か否かは確かめようがありませんが、
不滅の大記録の達成者というよりも
「汚い野郎」というイメージの方が
強く出てしまいません?
ゴルフでは性格がつい出てしまい、
そして三つ子の魂百までですから、
人間性に難のある方は本来、
ゴルフなどやらない方がよい
のかもしれません。
どこかでボロが出てしまいます。
「ゴルフ規則より
礼儀正しさとスポーツマンシップを
常に示しながら洗練されたマナーで
立ちふるまうべきである。
これこそが正に、ゴルフの精神
なのである。」
これを守らないではなく、
性格的に守れない人は初めから
ゴルフなどするなという意味でも
あるような気がします。