ごるふは、実にデリケートなゲームである。
インパクト時におけるほんの数ミリや
コンマ何秒かのズレがミスショットに
つながるから、これはまさに瞬間芸。
それゆえ、全身全霊を傾けた集中力が
要求され、そのためには余計な雑音は
邪魔だというわけだ。
しかし、音のせいで良いショットが
打てないかというと、必ずしもそうでは
ないと思う。
要は、何もないところで急に音がするのが
いけないわけで、最初から鳴りっぱなしで
あればそれほど気にならないのではあるまいか?
いい例が、野球である。
バッターは、常にやかましく鳴り響く笛や
ラッパと歓声の中で、ヒットや長打を放つのに
必要な集中力を要求されているではないか。
オリンピックの跳躍競技や投てき競技なども
一発芸の部類だが、
スタンドの観客は沈黙するどころか、選手
自ら観客に向かって手拍子を要求すること
だって珍しくない。
これらと比べると、ごるふというゲームの
特異性を感じずにはいられない。
もっとも、これらの競技はある程度
やり直しが利く。
バッターは何回かバットを振ることが
できるし、跳躍や投てきも、複数回の
トライが認められている。
これに対し、ごるふの場合は打ち直し
などという甘ちゃんは一切許されない。
1度振ってしまったら、どれだけいまいましい
結果が飛び出そうとも、涙をのんでそれを
受け入れなければならない点が、
他の競技との決定的な違いといえる。
打ち直しが利かない1打の差が、
何百万や何千万円もの差になる世界。
物音1つで自分のスウィングを乱された者が
烈火の如く怒り狂うのは、
とりかえしのつかないこの結果をどうして
くれるんだ、という無念さが込められている
からである。
2019.3.13
ゴルフで物音は気にならないというかたも
いらっしゃいますし、そうでないかたも
当然いらっしゃいます。
ですが、その人が気にする人なのか
気にしない人なのかは、わかりません。
特に初めての際は。
結果、物音を立てないというのもマナー
として発生したんだろうと思います。
これも他人に迷惑をかけないという
範疇の中の1つです。
人間、自分を基準にして考えがちです。
自分はこうだから他の人もそうだろう。
自分がそのためにこうしてきたから、
他の人もそうすべきだと。
会社勤めで、この種の顕著なケースを
よく見ました。
上司、ましてや部長、役員には米つき
バッタか?と思うぐらいペコペコする
中間管理職。
彼はそのペコペコした相手方の悪口を
陰で盛んに言い、自分の部下に対しては
自分にペコペコするよう求めます。
一方で、さほどペコペコしない人は
部下に対してペコペコすることを
求めませんし、悪口を言うことも
まずありません。
これは長い会社勤めで本当によく
見ました。
みな、自分を基準にしがちなんです。
だから、自分自身の基準がおかしな方は、
当然のようにおかしなことをしでかします。
煽り運転などはそういう気がしますし、
多分、やった本人はやって当たり前と
思っていることでしょう。
むしろ、社会正義を自分が代行していると。
ちなみに、会社で出世しがちな人は、
ペコペコして陰で悪口を言うタイプの
ほうです。
そうではない素晴らしい会社もあるで
しょうけど。