ごるふは、数あるスポーツ競技の中でも、
昔から審判員の存在しない
世にも珍しいゲームだ。
審判がいないのだから、何かあった時には
全部自分で判断し、判定して行動しなければ
ならない。
それだけに、自分で下す裁定に甘えは
一切許されず、常に厳格な対処が
要求されることになるわけだが、
中には平気でズルをする不届きな輩が
現れても不思議ではない。
しかしそれでは公平さが失われ、
ゲームが成り立たなくなる。
この問題をどう解決すべきか?
答えは単純明快だった。
最初からプレーヤー全員を、
品位ある紳士・淑女と決めつけて
しまったのだ。
そうした人々であれば、
自分に都合のいい勝手な裁定など
下す心配はない、
ゆえに、わざわざ審判員を付けるには
及ばないという合意を形成したのである。
この伝統が500年も前から続いている
というのだから、恐れ入る。
この掟に背いて、不正な行為を
はたらいた者はどうなるか?
19世紀のスコットランドでの話を
紹介しよう。
ある会社の社長が、
スコアをごまかして申告した。
同伴者の指摘でウソが判明し、
社長はその場で深く反省したそうだが、
スコアをごまかしたという話は
アッという間に街中に広がり、
翌日には銀行が社長に対して、
融資の打ち切りを通告。
会社はあえなく倒産となった。
その後、この社長がどこかで野たれ死に
となったかどうかは定かでない。
自らを厳格に律することができない者は、
紳士・淑女にあらず。
ゆえにごるふぁ~にあらず、
というわけだ。
2019.2.6
「掟」なんですね。
ですから、「掟」に背いた以上は、
相応の報いをということが隠されています。
それがあるから、うそを見つけた方は
なあなあで終わらせず、
周囲に広めたのでしょう。
そして、それを聞いた人たちも
掟に背いた人をかばわず、
更に広めたのでしょう。
現代日本ではそこまでにはならないです。
掟ではないですから。
でも、そういう人がどんな仕打ちを
受けているのかは、多分、当の本人が
知らないだけです。
ゴルファーの世界は、以前書きました
ように結構狭い世界ですので、
スコア誤魔化しの話はすぐに伝わります。
社長が社員に訓辞を垂れ、神妙にそれを
聞いているある社員は心の中で次のように
思っていることも。
「誤魔化し野郎で名を轟かしてんのに、
何を偉そうに延々とくっちゃべってんだ?
お前の言っとることなんか、なんも
心に響かんわ!」
訓示・説得・指示・忠告などの言葉は、
聞く側に相手に対する畏敬の念とかがないと、
単にうっとおしがられるだけで、何も伝わら
ないです。
「何回でも言ってんのに、ちっとも守らん。」
という場合、言われた側ではなく、言っている
本人に理由のある場合があるのです。