ごるふは、一種のゲームである。
いかに少ないスコアでラウンドするか
というゲーム性を有するが故に、
ごるふは今日まで存続・発展してきた
といってよいであろう。
たとえ競技ごるふでなくとも、
ごるふの持つゲーム性は、
基本的には変わらないはずである。
ゆえに、たとえば100を切る
というテーマは、ゲームとしての
ごるふの中の1つの目標である。
このハードルがクリアできずに
長い間もがき苦しんでいる人々が、
私の周りには何人もいる。
技術的な面での原因はいろいろあろうが、
メンタル的には、ごるふが、いかに少ない
スコアで上がるかというゲームであることの
認識が薄いのではなかろうか、
という気がしてならない。
ごるふに対し、ゲーム性でなく
娯楽性を求める人もいる。
すなわち、ごるふを単なる娯楽や余興
としてとらえ、楽しくワイワイやりながら、
たまに胸のすくような豪快なショットが
打てればそれが楽しい、
スコアは二の次だと思ってプレーする人が
いるようだが、これを批判するつもりはない。
ごるふに対するその人なりのスタイルなのだから。
しかし、そうでないのならば、
ゲームとしてのごるふを強く意識するべき
である。
100を切りたいのなら、
その人は、100を切れるかどうかというゲームに
挑戦しなければならないのだ。
すなわち、どうやったら1打でも少なく
ホールアウトできるかを考えながら
プレーしなければならないのである。
2018.12.11
この文章がタイトルとどうつながるの?
それは明日の文章でご確認ください。
でも、多くの方にとって、ゴルフはスコアなど
あまり考えない遊びだったと思います。
仕事上、やらなければならない試練だった
という方もいらっしゃると思います。
が、多くの方々が、知らぬ間にはまり、
「100の壁」とか、「100叩きの刑」
とか言って悩みだすんですよねえ。
プロなどが1.5mほどのパットを外し、
本人も、そして周囲も解説者も「あ~っ!」
などという光景を見ると、ふと我に返って
滑稽さを感じる時もあります。
こんなことで何を大勢で大騒ぎ
しているのか?と。