前にも書きましたが、今回のオリンピック開催
騒動は、開催の是非を問うだけでなく、結果として
「オリンピックって何?」という思いも抱かせました。
IOCの暗部もどんどん暴かれつつあるように
思いますし、「そもそも」という部分にも思いが
行ってしまいます。
現在のオリンピックの空前の活況は、
優勝という価値のロンダリング効果にあったと
思います。
例えば、
体操選手や水泳選手が1度のオリンピックで
何個も金メダルを取る一方で、多くの選手は
1種目でしか獲得のチャンスがありません。
バレーボールの選手がバスケットでも
金メダルを狙えるのかというと、それは
まずないですし、実際の獲得例もありません。
でも、マスコミもそれを見ている人たちも、
「どういう競技」ではなく、「金メダル」という
基準・数で判断しがちですが、それは誤っています。
世界全体では、マイケル・フェルプスと
ウサイン・ボルトのどちらをより評価する
のでしょうか?
金メダルの数を優先する方はフェルプスで
しょうが、分かっている方は、ボルトをより
評価すると思います。
でも、オリンピックは、どんどん種目を増やし、
金メダル1個、2個、3個・・・という価値基準に
しました。
マスコミに登場する時も、金メダリストという
点で、みな同じ価値を持つ人の扱いになります。
IOCは、どんどん開催種目を増やし、同じ価値の
金メダルを量産して来たということだと思います。
オリンピックでの優勝でなければさほど
顧みられない競技も、オリンピック金メダルで
あれば箔が付きます。
「ぜひ、実施競技に」と拝みこむのもやむなしで、
IOCはそういうこともあり、肥え太って来たので
しょう。
もちろん、そこには欠かせないパートナーが
存在し、それはオリンピックで視聴率の獲得を
図るTV局です。
IOCとテレビ局は、今日の近代オリンピックを
推進してきた両輪だと思います。
ですので、テレビ局は反オリンピックをまず
言うことはないです。
2021.6.26
私のオリンピック最初の記憶は1964年の東京
オリンピックです。
戦後日本の復興を世界にアピールする国家的
事業だったでしょうし、子供の私たちにも
「世紀の祭典」という雰囲気は伝わっていました。
紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて
古代オリンピックは続いたけれど、
近代オリンピックはいつまでと思いました。
永遠に続くのではないかと。
でも、第1回から100年ちょっとの今、
暗雲が出てきたようにも感じます。
今、思えば、「オリンピックは儲かる」
という認識の出た1984年のロサンゼルスが
曲がり角だったような気がします。
アマチュア限定からプロ参加の道、そして、
商業化への道を開いたサラマンチIOC会長の
時代ですね。
89才で亡くなるまでIOCの終身名誉会長。
その最終肩書が、この人物の全てを物語って
いるように思えます。