大分飛んでしまいましたが、再び、この話です。
そもそも「良い人」「悪い人」というのは、元々
存在せず、ある立場の人から見た見方でしかない
というのが書いて来た内容です。
そして、秀吉がなぜ①に該当するのか?
彼などは朝鮮・韓国の方々からすれば、
史上最大級の大悪人ですが、日本では今も
「太閤さん」と呼ばれ、好意を持つ方々がいます。
でも、本性を考えると彼は間違いなく①のタイプで、
基本的には多くの人にとって悪人です。
信長は怖いため、ひたすら彼には媚を売って
来たのに、彼が死ねば信長の子孫を殺すは、
姪(淀殿)を妾にするわとやりたい放題です。
秀次・利休の切腹、朝鮮出兵、失敗のあとの
再出兵とやりたい放題で、自分の感情を優先して
いたとしか思えません。
それが関ケ原・大阪の陣⇒豊臣滅亡につながった
ような気はします。
全国統一を成し遂げてすぐに豊臣家が跡形も
なく滅んでしまった理由、やっぱり秀吉は多くの
人々からの心服を受けていなかったからでしょう。
むしろ、恨む人の方が多かったからなのでは、
ないでしょうか?
2022.3.6
信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす」
家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」
と言いますが、実際は、
「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」は、
秀吉だろうと思います。
信長は、そんなことにはいちいち気を留めず、
聞かれれば「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」
という気はします。
対信玄、対謙信では相当に気を遣っており、
気が短いというのは作られたイメージでは
ないでしょうか。