「差別がいけない」と言っても、
本当の所を言えば、
「差別はちゃんとしなくてはいけない。」
「でも、妥当性のない差別を優先しちゃダメ。」
ということです。
「何でもかんでも差別はいけない」
が最優先に来てしまったら
俺をゴルフの日本代表にしろよ。
100打つ奴は無理?なんだと?差別するのか!
俺の給料を社長と同じにしろよ。
「他人の成果は俺の物、俺のミスは人のせい」
じゃ、ダメって言うのか!差別じゃねえか。
私と結婚してよ。
私が陰口ばっか叩き、あることないこと言いふらす
からイヤだって?何が悪いの、そりゃ、差別よ!
「全員手をつないで同時にゴールイン」という
ゆとり世代時の勘違いも似たようなものです。
どれだけ働きが違っても、みな同じ給料。
「やる気をなくして失敗してしまった初期の
社会主義・共産主義」も似たようなものでしょう。
他人のためになる人をきちんとそれなりの
地位につけ、より多くの人が幸せになれるように
差別をすることは大事なことです。
そして、そのためには、その働きをきちんと
評価できることが必須条件となってきます。
してはいけない差別を根絶する。
しなければいけない差別は困難を乗り越えても行う。
そのために、きちんと評価を行える社会にする。
これからの人類の果てしない課題だと思います。
2021.2.23
上記が正しいことは歴史がいくらでも証明して
います。
世襲は、早ければ2代目でぐだぐだになり、
国が亡び、会社が倒産という例がいくらでも
あります。
能力による差別ではなく、血統で差別して
しまった結果です。
古今東西、名君とか言われた方には、
ほぼ確実に能力による人材登用が付き物です。
そして、「能力主義による人材登用」は、
当然ながら、「能力判断の正確さ」がセットですが、
この部分は忘れられがちで、あまり強調されません。
能力主義評価に切り替えた会社を多く聞きますが、
あまり成功例は聞きません。
多分、正当な判断が出来ず、下手すりゃ
ダメな奴、ずるい奴を評価してしまった結果だと、
私は思っています。
更に、上記の歴史上の名君の全員が全員、
能力による後継者選びをしたかというと
それはほぼ違います。
それだけ、優先してはいけないけれど、そして、
頭では分かっているけれど、どうしても優先して
しまいたいことがあるということです。
ここを乗り越えられるかどうかですね。
まあ、評価能力のない人物が権力を持つ、
権力を持った人間が多くの人の役に立つ人物を
迫害する。
絶対にダメな例ですが、なぜか、歴史的にも
今も、多いんですよねえ。