年間20万円の特許料を貰えるようになった私ですが、
でもですねえ、その翌年から、それ以上の額の
給料が毎年毎年、減っていったんですね。
仕事の内容は変わりませんし、まだ50才前です。
経営陣、相当、腹に据えかねたんだと思います。
「えっらそうに、特許料の分け前を請求して来やがった!
たかが社員の分際で。」
とでも思ったんでしょう。
社畜制の創業家専制企業でしたから、入った会社が
悪かったです。
更に、メーカー間のパテントプールが設置され、そのつど
お金をやり取りするのではなく、メーカー間は各差額で
清算をするようになりました。
例えば、
A社⇒B社 10億円
B社⇒A社 1億円
という場合、A社⇒B社 9億円という1本ルートに。
それはいいんですが、その時に「相手に払うばかりで、
会社には入ってこなくなったから」という理由で、
私への20万円ほどの支給も消えたんですね。
私の特許があるからこそ他メーカーよりも安い支払いで
済んでいるはずですし、こちらが受け取る一方という
相手メーカーも存在していました。
中途退社者ばかり出るの企業ですから、そりゃやる
ことは、大胆で、有無を言わせません。
同僚の何人かからは「訴えた方がいいですよ。」と
勧められたんですが、私はもう嫌気が差して最終的に
退職することを選んだんですよね。
精神的に、それしか手段がなくなってしまったとも
言えます。
ですので、今回の西陣の出来事はちょっとインパクトが
あったというか、昔のことを思い出しました。
2023.4.19
本気で訴訟をと思えば、ひょっとしたら私は何億円も
手に入れることが出来たかもしれません。
でも、正直言えば、面倒くさかったんですよね。
最初の交渉時にちょっとごたごたしたし、これ以上、
あんまりお金のことでごたごたしたくなかったという
ことはあります。
また、そんな会社に入ってしまったのが、そもそもの
自分のミスとも思っていましたし。
一方で、これを諦めると会社に負けたようだし、将来
後悔するかもという考えも、かなりよぎりましたが、
今となってはやっぱりやらなくて良かったと思ってます。
「この年で働かなくては」ということはありますが、
それはそれで結構楽しいし、かえって良かったのかもと。
訴訟をしていたら、多分、今こうしてブログを書いたり、
ゴルフ場運営に携わることもはなかったと思います。
別のことをやっていた可能性もありますが、まあ、
これも大いなる意思の差配かなと。
そして、その会社が、現在は目も当てられない状態に
なっていることで、実はだいぶ胸がすっとしています。
で、西陣。
かつては女子ツアーの「西陣レディスクラシック」を
冠スポンサーとして開催していました。
特許収入がガポガポ入っていた頃の話です。
やっぱり、羽振りがよかったんだろうなあと思います。
特許の力は大きかったですねえ。