記憶だけを頼りに書いていきますが、
フィーバー機の登場で空前のブームと
なったパチンコ。
東海地方はたぶん、翌1981年からなんですが、
それまでの球を入れるドル箱といえば、固形
石鹸が立てて5,6個入るサイズ。
打ち止めの換金額で2千円ぐらいです。
(ドル箱2箱、計4,000円ほどで打ち止め)
それがフィーバー機では、大当たりになると、
店員がバケツを持ってきて
「○百○十○番台、フィーバースタート!」
という大絶叫。
換金額も8千円~1万数千円でしたので、
当たっていない人まで大騒ぎ。
当たった人は膝をガクガクさせながら、
バケツに玉を流し込む。
それまでインベーダーゲームに流れていた
100円玉がパチンコの台間サンドに流れる
こととなりました。
でも、次々に出玉規制が行われ、徐々に
パチンコよりもB物スロットが人気を集める
というようにと時代が動きます。
モーニング当たり狙いで朝一から行列が
出来るようになりました。
そのファンを再び、パチンコに戻したのが、
1992年発売のアレジンであり、1991年発売の
フルーツパンチです。
おりしもB物スロットに規制が入った
こともあり、再びパチンコの時代となります。
フルーツパンチは、当たった瞬間に
「ピシャー!」と赤い閃光が盤面に広がり、
電飾の効果を最初に広めた遊技機でもあると
思います。
今日は、海物語の「魚群」まで
と思ったのですが、続きは明日にします。
2021.3.29
パチンコとパチスロはブームが交互に来る
という時代が続きます。
パチンコの射幸性が高くなりすぎると規制が入り、
下火になる。
でも、虎視眈々と狙っていたパチスロの射幸性が
今度は上がり、こちらが人気になる。
そうすると、今度はパチスロに規制が入り、
パチンコに人気がという具合です。
そういうことを何十年も繰り返して
来ました。
一方で、フルーツパンチは当たると
「右打ちにして大当たり消化を行う」
というパチンコの走りの1つでもありました。
それまでパチスロに夢中であった私が、
フルーツパンチの出玉に惹かれて、
初めて打った時のこと。
大当たりをし、右打ちを知らずに
そのまま打つ私の右手を右にいた若い
女性が握り、ハンドルごと右に回して
くれました。
大当たりよりも、こっちの方が嬉し
かったです。