CRセブンドーフ。
これは私が開発責任者を務めた3機種目だった
と思いますが、メチャクチャ売れました。
当時は、確変突入率と継続率がMAX50%だったん
ですが、ちょっとした工夫をして、突入率100%
としたスペックが反響を呼んだと思います。
そして、受け入れやすそうな白雪姫と7人の
小人をモチーフとし、ちょっとしたサービス
カットも悪くなかったと思います。
でも、当初の社内の評価はさほど高くなく、
部材はあまり用意されていませんでした。
が、あまりの受注の多さに、部材がすぐに
足りなくなった会社側は慌てて追加部品を
大量発注。
ところが、部品が間に合った頃には開店
ラッシュもピークを過ぎ、追加部品が大量在庫。
当時のお偉いさんからは
「会社の歴史上、一番、在庫を残した機械」
と、痛烈な一言を浴びました。
大量在庫の責任を負わされ、褒賞も何も
あったものではありませんでした。
でも、初期部品の発注数を決めたのは、
彼であり、発注担当者です。
反響の大きさに慌てふためき、慌てて
大量の部品追加発注を決定したのも彼らです。
それでも有り余る利益が出ましたし、
販売台数も歴代の5本の指に入ります。
初期に妥当な発注を行なえていれば、
利益はもう莫大なものになっていたはずです。
開発関係者を褒め、自身や発注担当者は
猛省すべきというのが妥当な所だったと
思います。
ええ、それに気付いていれば、会社も
今のような状態になることはなかったと
今も当時も思います。
2021.4.11
当時の私のメインの仕事は遊技機の型式試験
関係でした。
所轄官庁への提出書類を作成し、担当者に
説明をし、販売許可を得るという仕事でした。
上記で触れた「ちょっとした工夫」というのも、
官庁との折衝で頑張り、その工夫を認めさせた
という面があります。
この仕事はかなり多忙だったんですが、
更にいくつかのパチンコ台の開発責任者を
したり、企画決定の仕事もしていたんですね。
当然、細かい所にはなかなか手が回りません。
それだけに没頭できるわけではありません
でしたので。
そんな中、助けてくれたのが船橋君という
後輩社員で、「セブンドーフ」は彼と相談
しながら開発をしました。
そして、彼とはその後、仕事上の腐れ縁
みたいな感じになります。
パチスロ部門を立ち上げた時も、特許関係に
出向していた彼がサブマネージャーとして
戻ってくれ、パチスロ開発が本格化しました。
彼は、ええ彼は今まで見てきた人間の中で
一番記憶力の良い人間だったと思います。
彼のとりわけパチスロに関する知識は凄まじく、
表裏両方のパチスロ知識に精通していました。
当然、彼の後輩社員からは一目も二目も
置かれる存在でしたが、実力に比して彼は
あまり出世出来ませんでした。
私みたいな泥舟と腐れ縁になってしまった
せいと、本当に申し訳なく思っています。
まあ、二人揃って、よく言えば正義感が
強すぎた、悪く言えば反発心が強すぎた
とも言えるような気はします。
当時はそれが当たり前と思っていましたが、
今にして思えば。
まあ、それを悔いる気持などこれっぽっちも
ないですが。