まさか蒲郡の上ノ郷城落城が描かれるとは思い
ませんでした。
今までそれを描いたドラマはなかったと思います。
そして、蒲郡と蒲郡ミカンの紹介も。
そうなんですよねえ、ナポリと蒲郡はよく似ていて、
一部、ごく一部では「東洋のナポリ」と言われている
んですよね、蒲郡は。
そして、戦闘シーン。
ドラマですから、史実などと違う所があっても
仕方はないと思いますが、いろいろ「う~ん」とは
思いながら見ていました。
まず、鵜殿長照の戦死場所が言い伝えとは違い、城内で
自刃となっていました。
言い伝えと同じ伴氏は出て来ましたが、追いかけっこを
描いている尺はなかったんでしょうかねえ。
続いて、竹島辺りから船が何艘か上ノ郷城に向かう
描写があり、それを見て長照ががっくりとなりますが、
竹島の向こうから家康の味方は来ないです。
そもそも夜であったはずですので、竹島はおろか、
海も見えなかったはずです。
夜の海は今も真っ暗に見えるだけです。
そして、家康に協力して攻め寄せたのは竹谷松平氏と
下ノ郷城の鵜殿氏分家であり、共に近距離でもあるため、
陸路からの応援だったでしょう。
また、瀬名の母親は氏真の叔母(or親族)ですので、
「首をはねよ!」「首をはねよ!」とは何度も出て
来ましたが、いくら戦国時代でもという気はします。
更に、この時期、今川は北条や武田との対応に大忙し
でしたし、史実では石川数正が駿府に来て人質交換の
交渉をしたとされています。
ですので、氏真が吉田まで来てというドラマの描写は
「え~っ!」でしたし、2才だかの子供が駿府(静岡市)
から吉田(豊橋)までの100km余の道を歩いて?という
疑問も。
もちろん、関口氏ご夫妻まで一緒に歩いてご同行?
静岡から豊橋まで、新幹線の駅が間に掛川・浜松と
2つもあります。
東海道新幹線のこだまに乗ってやって来たというなら
わかりますが。
まあ、所詮、ドラマだからええっちゃええんですけど。
2023.2.14
上ノ郷城の城址は、私も下の娘が7才位の時に登った
ことがあります。
普通は進入路が整備されている南側のミカン園の辺り
から登るのですが、それを知らなかった私達。
雑木の生い茂る北側斜面から登ろうとしたんですね。
ドラマの冒頭の戦闘シーンで城から反撃された久松
俊勝が「引けっ、引けい!」と撤退した場所です。
本当に険しくて、私も7才の娘に「引けっ、引けい!」
と号令し、撤退しました。
そして、ぐるっと南下し、南側から登りました。
それと蒲郡ミカンを取り上げるなら、上ノ郷城址近くに
ある「JA蒲郡市総合集出荷場」をちらっと画面の端に
でも入れてくれるとよかったですよね、JAさん。
蒲郡ミカンはそこから全国に向けて全て出荷されて
いるはずですので(多分)。