初期に
「ずっとやっていると、吉野家で規定の量の牛肉と
玉ねぎを一発で掬い上げることが出来るようになる」
と書きましたが、人間は不器用ではあるものの、
修練を重ねた時の凄さは半端ないです。
ゴルフでも打った瞬間に、強いのか弱いのか、
曲がるのかまっすぐなのかがすぐにわかります。
インパクトの音、手応え、周囲の声など、それぞれの
情報が過去の経験から既に構築されている神経系を
伝わり、一瞬で結果が予想されてきます。
でもまあ、たいていは、
「あっ!」 だとか、
「やっちゃった!」
「打っちゃった」
「ダフっちゃった!」
という言葉につながりがちなのですが。
若い、年を取っているというのがあまり意味を
成さないのは、あることに対してどれだけの
時間を費やして来たのかの方が重要だからです。
どれだけそのことに対して時間を費やして来たのか、
それに打ち込んできたのかが大事です。
単純な老若などはさほど大きな意味を持ちません。
20才前後の女子プロが凄いのは、年少の時から
ゴルフに打ち込み、言ってみれば他を犠牲に
してきたからです。
若いから上手いのではありませんし、今20才で
若いからすぐにゴルフを始めればすぐ上手くなる
のでもありません。
勉強もそうです。
「遊ぶことや勉強以外にもやらなければいけない
ことを犠牲にして、勉強だけを選択したから
成績が良くなっただけ」という言い方も出来ます。
それをエリートと言って特別待遇する社会が
適正なのか?という問題もあります。
だから、高学歴の生徒ばかりを集めても、
そういう「only点数バカ」もかなり混じっているため、
使い物にならない人材も多いということが発生します。
まあ、持っている時間は基本的にはみな平等ですので、
どこに時間を費やすかです。
人体は打ち込めば驚くほどの成果をもたらして
くれますが、打ち込まなければ何も生んでくれない
ということもあります。
のんべんだらりと全てに怠け、漫画ばっかり描いて
いたら「ちばてつや」「小林まこと」になってしまい、
凄いことになったということもあるでしょう。
描いていたけど、親に怒られて途中で止め、
凡々たるただの社会人というケースもあるでしょう。
人間の世は本当に難しいです。
2021.10.24
我ながら面白くも何ともない文章になってしまい
ました。
今日になって慌てて書き始めたものの、今日は
クラブ選手権の決勝、マンスリー競技、その他
いろんな業務が重なり、時間を割けなかった
というのが大きな理由です。
文章が降って来ることはありますが、それは
それを真剣に考えている場合の話であり、
他の仕事に没頭している時にブログ用の文章など
降って来てはくれません。
ただ、
「俺は本当に真剣にゴルフの練習をし、ラウンドも
ずっとしているのに、ちっとも上手くなんねえ。
打ち込んだって、なかなか成果は出ないって。」
という方はお見えだと思います。
ええ、これは私も言いたい所ではあります。
でも、やっぱゴルフがそれだけ難しいということ
だと思います。
私は使用済みプリペイドカードから計算すると
1年間で1万発近く練習をしています。
「これでも全然上手くならない」
と思っていたら、よく顔を合わせるメンバーさん。
それぞれ1年間で1万6千発、2万発だそうです。
私、まだ修練が全然足りませんでした。
素質も相当足りなさそうだということも薄々
ずっと気付いてはいるんですが。