法多山の参道を「二人で手をつなぎながら」
よぼよぼ歩いている両親。
その前を串団子の箱を10個持ち、ふうふう
言いながら歩いている60才過ぎの息子。
それはどうでもいいんですが、両親、特に
母親の外を歩く姿を見るのは久しぶりで、
こんなに足腰が弱くなっちゃったんだと。
丁子屋の店内にはいくつかの写真があり、
その中に昭和9年(1934年)頃のお店の
写真がありました。
昭和9年は母親の生まれた年でもあり、日中
戦争の前夜でもあります。
お袋は、お店の障子に墨書きで「とろゝ汁」
なんて書かれている時代に生まれたんですね。
そして、帰りの車中。
誰々が亡くなった、誰々もという話がいくつか
出て、父親が「同級生もゴルフ仲間もみ~んな
いなくなっちゃった」と。
そう言っていたのに、最近は家族葬が多くなり、
「私たちもそれでいいやね」と母親が言った矢先に
父親が、
「い~や、俺は賑やかにやって欲しい。大勢で。」
と。
当然、私とお袋が同時に、
「大勢って言ったって、親兄弟はもう誰も
いない、従弟も同級生も誰も残っていない、
ゴルフ仲間やほかの仲間も。
だ~れを呼びゃいいの?」
と言ってしまいます。
2024.6.15
両親の老いを改めて感じた1日でしたが、
まあ身体はともかく頭の方はまだまだ大丈夫
っぽく、ありがたい話です。
出来れば、年に4回ぐらいは両親を連れて、
遠出をしようとは思ってます。
これもサンベルのままであったら、まず
出来なかったんですよね。
あの頃は、20連チャンの出勤などしょっちゅう
でしたし、たまの半休でゴルフをなんとか
プレーするという生活でしたので。
池も直って来たし、来場されていたメンバー
さんたちも来てくれているしで、メダリオンに
なって本当によかったと思ってます。
預託金の金額が減ってしまった方々には申し訳
ありませんが。
ただ、そういう方々からも、
「池を始めとしていろいろと手直しをしてくれ
本当にありがたい。」
というお話は頂いています。
これも私らからすればありがたい話です。