以前にも紹介したことがありますし、私が紹介
するなどおこがましく、多くの方が既に知って
いる内容ではあると思いますが。
児玉が閉口しきっていることは、新聞が連戦連勝を
たたえ、国民が奉天の大勝に酔い、国力がすでに
尽きようとしているのも知らず、
「ウラルを越えてロシアの帝都まで征くべし」
と調子のいいことをいっていることであり、さらに
児玉がにがにがしく思っていることは政治家までが
そういう大衆の気分に雷同していることであった。
日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表
しない。
むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州に
おける戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽って
いるうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめに
なり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだく
ようになった。
日本をめぐる国際環境や日本の国力などについて
論ずることがまれにあっても、いちじるしく内省力を
欠く論調になっていた。
新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには
太平洋戦争にまで日本を持ちこんでゆくことになり、
さらには持ちこんでゆくための原体質を、この戦勝
報道のなかで新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は
自体の体質変化にすこしも気づかなかった。
中略
つねに一方に片寄ることのすきな日本の新聞とその
国民性が、その後も日本をつねに危機に追い込んだ。
私は一体何が言いたいのか。
もちろん、「司馬遼太郎さん、すげえよなあ。」
ということはあります。
でも、そんなことは今さら言うことでもないです。
まあ、一連の松本さん報道であり、著名人に特化
した各報道ですね。
調査をし、満を持して掲載を開始した文春は
まだわかります。
「松本ネタを書けば注目を浴びる」とばかり、
どの媒体も松本ネタのオンパレード。
そこまでそれにかかりきりの読者ばかりとも
思えないのに、誤報道も含めて、マスコミは
猫も杓子も Again & Againで松本さんです。
この構造は、司馬さんの指摘した内容と何も
変わらないと思います。
2024.2.12
戦中記事について、マスコミは「軍部に脅されて」
とよく弁明しましたが、そもそも軍部をそういう
方向に持って行ったのはマスコミ自身でしょう。
発行部数という自らの利益に釣られて。
今回の件、むしろ松本さんは加害者かもしれない
けれど、実は被害者でもあるのではないか?
という気さえします。
彼らに乗せられて、得々とコメントを発表している
著名人も、実は次なる文春砲のターゲットになって
いる可能性があります。
文春側は販売部数を伸ばすために、正義の鉄槌と
いうよりも、いかにインパクトのある記事を作るか
が優先です。
多分、松本さんが書かれた内容よりもひどいことを
している人物はいくらでもいますが、文春は知って
いてもインパクトがないから取り上げないだけです。
結局、マスコミは常に社会正義という仮面を被りつつ、
金儲けを考えているだけで、むしろ、社会の害悪と
なっている可能性があります。
そういう理由から、マスコミではなくネットを通じて
市井の賢者みたいな人の意見が先々は注目を浴びる
ようになるかもしれません。
その方が、金儲けに走らない限り。