昨日、
「それは他人の迷惑を顧みず、不当であろうが
自らの利益獲得を優先しようとする人々です。」
と書きましたが、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」。
これはそういうことが主題だと思います。
秩序の老朽化した軍事国家の軍事官僚という
ものは、国家を救おうとする気持ちよりも
むしろ保身への配慮のほうをつねに重んじがちで、
そういういわば軍人としては消極的な発言をする
ことによっておのれが自滅することをおそれ、
他の表現でそれをいうか、もしくは陰で
それを言うにとどまった。
このような一節がありますが、同様の内容が
やたらと各軍人に対して何度でも出て来ます。
要は、自分が功を得ることに腐心し、場合に
よっては同僚、或いは、国の損得を犠牲にしてでも
という軍人たちの話です。
そして、そういう人たちは自分が損になるような
ことにも敏感で、見苦しい言い訳でもなんとか
それを回避しようとします。
「坂の上の雲」では、ステッセルもそうですし、
伊地知にも痛烈な書きようがなされています。
更に言えば、日露戦争の英雄、軍神乃木に対しても、
直接的ではありませんが、かなりの書きようが
なされています。
203高地の攻防戦は有名ですが、保身将軍同士の戦い
だったとも言えそうですし、
伊地知ではなくもっとましな指導者であれば
犠牲者ももっと少なかったと読めます。
「坂の上の雲」は軍隊を舞台にしていますが、
まるで企業の内部という気もし、だから今も読まれて
いるんだろうと思います。
2021.11.6
「坂の上の雲」は若い時にも読んだのですが、
今読むと感じる所がまた別物です。
今ですと、言ってみりゃ悪い態度をとる将軍の
姿がかつての一部の同僚、上司、部下に重なって
きます。
日露戦争後、ロシア革命によって一族皆殺しと
なるロシア皇帝の日露戦争当時の言動は、
かつての経営者の言動とも重なってきます。
そして、調べてみると、ここで叩かれている
将軍たちもあれだけ栄華を願い、失脚を恐れたのに、
願ったとおりの結果にはなっていません。
例えばステッセル。
「1908年2月に軍法会議で死刑宣告を受けるが、
1909年4月には特赦により禁錮10年に減刑。
今日においてもロシアでのステッセルに
対する評価は『凡将』あるいは『愚将』という
ものが大勢である。」
実力以上の功を願い、あくどいことや反倫理的な
こともしてしまう人というのは、やっぱり相応の
裁きをいつかは受けるという気がします。