では、具体的に「能力も貢献意欲も高い」
というのはどういう人なのか?
週刊ポスト2021年11月19・26日号より
ネットの週刊ポストの記事に渡辺明名人の
記事がありました。
その中の1文を紹介しますと、
やっぱり大山先生(康晴十五世名人)、
中原先生(誠十六世名人)、羽生さん(善治九段)
ときて、その次が藤井さんでしょう。
上位3人と他の棋士はタイトル獲得数が違う。
3位の中原先生は64期ですけど、4位の僕は29期。
勝率も違いますし、上位3人は四冠、五冠獲得を
複数年達成しています。
でも自分の最高は三冠なので、歴然とした差がある。
だから3人の大棋士の系譜を継ぐのは藤井さんでしょう。
藤井さんのように大活躍する後輩が出てきたのは、
自分にとって初めてのことでした。
でも、若い人が台頭してくるのは自然の摂理です。
僕は年長者なので、ゆくゆくは負けて去っていく
ことになりますが、それがたまらなく悔しいとか、
そういう感情はありません。
これを他人に言い、当然自分でもそう思っている
方はそうそう多くはありません。
逆に、それが分かっていても、何とか相手の足を
引っ張ってでも自分が上に行こうとしてしまう
人は、結構、多いと思います。
とりわけ、
「それがたまらなく悔しいとか、そういう感情は
ありません。」
てなことには、なかなかなりません。
以前書いたことがありますが、そもそも自分の能力
以上のことは数値で示されない限りなかなか理解が
できないということがあります。
渡辺名人の場合、自身も相当にレベルが高いから
こういうことがわかるという面もあろうかとは
思いますが。
2021.11.10
失礼ながら風貌もとてもユニークで、魅力的な
お方という感じがします。
おっしゃっていることを読んでいると、
プロ野球の落合博満さんの言動とも近いものを
感じます。
自分に感情移入しすぎず、自分を客観視できる
というか。
ともに、その世界の堂々たる大名人ですので、
そうなるのかもしれません。
小物は自分の話、特に「俺なんて」「私なんて」
てな話ばっかなんですよねえ。
私も自分の話が多く、似たようなものなのかも
しれませんが。
まあ、「俺なんて」「私なんて」という言葉の
次にどういう話が続いて来るのか?で、また話が
違ってくるということもあるんですが。