国鉄の民営化は1987年でしたので、僕らの高校時代は
当然ながら国鉄で通学をしていました。
こんな電車でした。
JRになってからも大雨だとか、踏切事故で
遅れが発生というのはよくありました。
でも、国鉄時代というのは企業に原因があったのか、
技術が未熟だったのか、今よりもやたらと遅延が
発生したんですよね。
で、遅延するとこれ幸いとばかり、登校前に
寄って行ったのが豊橋駅西口近くにあった
「喫茶 WEST」。
電車遅延の放送が流れればしめたもの、
豊橋駅に到着すると、必ず「WEST」に寄り、
モーニングを食べていました。
もちろん、同じ蒲郡から同じ電車で通っている
他の生徒は、もっと早く登校しているのですが、
当時は、
「国鉄が遅れました。」
と言いながら教室に入って行けば、先生に何も
咎められなかったんですね。
不思議なことですが、時代なんでしょうか?
ですので、国鉄の遅延というのは僕らにとっては
何も迷惑なものではなく、むしろ有難いものでした。
ただ、当時は、東口が繁華街で、朝一から東口の
喫茶店でくつろぐというのは少々危険でした。
例えば、ときわアーケードの中にあった「ワルツ」
「仔馬」だとか、アーケードを突っ切ってすぐの
右側にあった「フォルム」。
本当はこちらの方が良かったんですが、さすがに
人通りが多く、お巡りさんも歩いていそうな東口
方面でさぼる勇気はありませんでした。
結果、朝一は人通りの少なく、危険性の少ない西駅
方面でというのが定番でした。
そりゃ、平日の朝10時頃に、学生服を着た高校生が
喫茶店でくつろいでいるというのは、今も昔も
おかしな話ですので。
2021.10.18
当時は、「日本で一番喫茶店の多い町豊橋」
という話もあったぐらい喫茶店が多かったです。
学生時代、そして、若い頃の土日と言えば、
喫茶店でコーヒーを飲み、モーニングを食べる
というのが定番でした。
「ワルツ」だとか「カレント」というコーヒー豆の
卸し問屋が豊橋市内にあったこともそうなった理由の
1つだと思います。
自社のコーヒー豆の売上を伸ばすために、
両社が競って自社製品を使用する喫茶店の立上げに
しのぎを削っていたんですね。
そういう喫茶店では必ず仕入れている先の
看板が出ていました。
「ワルツ」はそこのご息女が高校の同級生で
親近感がありました。
「カレント」は大学生の時に喫茶店のバイト先
の先輩2人が新卒で入社し、これまた親近感が
ありました。
それにしても、新卒の大学生を2人も取るなど、
いけいけだったんでしょうねえ。
ちなみにそのうちの1人と雀荘で会った時に
「おお、久しぶりだなあ。今は何やってんだ?」
と尋ねられ、「麻雀」と答えたら殴られそうに
なりました。