女子スポーツに限らず、スポーツの世界で
いいなあと思うのは、実力がそのまま
数値で反映されやすい所です。
そして、数値≒評価となります。
特に、個人種目はそうですね。
レギュラーツアーの出場権を持ったことの
ない選手が、賞金女王よりも収入が多いだとか、
実力は上と評価されるというのはあり得ません。
ところが、一般社会の場合は、そうと
ばかりは限らず、むしろそういう方が
少なめです。
例えば、ノーベル賞。
毎年、ノーベル賞が決まった時は、
大騒ぎです。
世界各国の報道を見ているわけではないの
ですが、韓国や中国が日本の受賞者数を見て
嘆きまくるというのを聞くと、
やっぱり世界的にもという気はします。
でも、何故騒がれるのか?
賞金が高いから?
それはあると思います。
権威があるから?
そりゃそうでしょうけど、でも、じゃあ
何故、権威があるんでしょう?
多分、選考が公平性、妥当性を持って
いると、多くの方々が認めているから
ではないかと思うんです。
もちろん、選考方法がちょっと異なる
平和賞の場合は、妥当性に関する物議が
頻繁に生じます。
でも、平和賞以外は公平性、妥当性を
持っていて世界中の多くがそれを
認めているからという気がします。
2020.1.23
「評価」は難しいです。
ノーベル賞で一番説明しやすいのは、
単なる企業の1主任だった田中耕一さんの
ケースです。
こちらは明日紹介させて頂きたいと
思っていますが、人為的な判断が入る
場合は、本当に要注意となります。
ただ、昨年のM1は文句なしでしたね。
久々に凄かったです。
それでも、何で彼らが今までくすぶって
いたのかと思いますし、
今回は文句なしだったけれど、該当者なし
とすべき回もあったような気がします。
圧倒的なものがあっても評価されない場合も
ありますし、たいしたことなくても評価される
ことがあり、評価は本当に難しいです。
そして、それが個人的な恣意的なものに
よって持たらされる場合も相当あります。
そんなもので自分の子供や孫が振り回され
たり、人生を棒に振ってしまうことに
なったら、本当に悲しいでしょ?
正当に評価されるというのは、残念ながら
本当に稀有だと思います。
評価できない人が評価しているからという
だけなんですが。