このブログでは度々、社長への非難を口に
していますが、そういう社長よりも立派な
社長の方が実際には圧倒的に多いわけです。
そのため、これは誰が何と言っても
社長の功績が№1という例を書いてみます。
差し障りがあるといけませんので、
出てくる固有名詞は少々ぼかします。
現在、パチンコ機というとほとんどが
美麗なカラー液晶を使用しています。
が、その昔は、7セグだとか、ドラム、
ドット表示機などを使用したものが
ほとんどでした。
そんな中、今の時代につながる
カラー液晶搭載のパチンコ機が登場します。
平和から発売された「麻雀物語」です。
今から見れば非常に小さな3インチ液晶
でしたが、7セグやドットに比べれば
何倍も大きく、何倍も美麗なため、
時代は一挙にカラー液晶の時代へと
舵を切ります。
ちなみに平和は、系列ゴルフ場数最多を
誇るPGMの親会社であり、本ブログでは
この部分だけがゴルフに関連しています。
平和は当時、三共(現SANKYO)と並ぶ
トップメーカーでしたが、
ある泡沫メーカーはカラー液晶ではなく、
単色液晶で開発を行っている最中でした。
が、カラー液晶が出た以上、単色液晶
では多分、売れない。
といって、カラー液晶に切替えると
開発費は莫大なものになり、失敗した場合
会社は存亡の危機に立つという危険性が
ありました。
こういう場合、資力のない会社ですと、
とりあえず単色液晶で何とか少しでも
利益をと考える場合が多いと思うんですよね。
勝負することは考えないです。
が、この時の武蔵丸産業社長は違いました。
社運を賭けて、カラー液晶への切替を行い、
「ピカピカ天国」を世に送り出します。
「麻雀物語」が大好評を博している中で、
同じコンセプトのパチンコ機、
液晶は更に大きく4インチにですから、
売れないわけがありません。
「ピカピカ天国」は武蔵丸産業にとって
空前の大ヒットとなり、トップを窺う
メーカーへと躍進するきっかけになります。
デザインがよかったから、
ゲージがよかったから、
液晶演出がよかったから等、
いろんな評価を当時聞きました。
でも、そんなものは些細な部分です。
大ヒットの最大要因ではありません。
一方で、カラー液晶機に切替えるべき
と進言した人もいたかもしれません。
が、社運を賭けたこの決断はその人では
出来ません。
いろいろ考えた末にその決断をした社長、
今の社長の先代であり、創業者社長ですね。
彼こそが最大の功労者だと私は思います。
その決断なくして、この成功はあり得ません
でした。
2020.1.26
じゃ、2番手は俺だとアピールする
うぬぼれ屋もいるかもしれません。
それは多分、自画自賛なだけです。
リーチアクションなども当時は単純で、
他の遊技機の真似から大きな進歩は
していません。
2番目の功労者は、保留連チャンという
機能を搭載したソフト作成・基盤提供を
担当した協力会社さんです。
詳しくは書きませんが、性能面では当時
このタイプのパチンコ機が一番ヒットして
いたものの、その搭載にはかなり大きな
難題があったんですね。
そう簡単に出来るというものではなく、
この機能がなければいくら綺麗なカラー
液晶と言えど、売れていなかったでしょう。
それにしても、7セグやドットしか出して
いない小メーカーが一念発起して、
単色にしろ液晶に挑戦!
「よし!」と思っていた矢先に、
なんとカラー液晶機が先に登場し大ヒット。
目が点になったと思います。
そこから更に大きくなったリスクを
承知の上での勝負。
見事な決断と読みだったと思います。
もちろん、先を見た的確な読みがあって
こその決断です。