センセーションを巻き起こしたいと功名に駆られる
場合って、もう初めからセンセーショナルにする
内容が決まっている場合が「多々」という気がします。
そして、それに合う内容は補強データとしてくっつけ、
合わない内容は無視するか、取り上げず、都合の良い
補強データだらけでアピールします。
スポーツ選手、或いは、芸能人とか政治家が、
「そこだけを切り取られて報道されてしまった。」
と言うことがよくありますが、初めから作っていた
筋書きに合う都合の良い部分だけを拾うということは
よくあることだろうと思います。
マスコミが「軍部の圧力で」と戦時中の報道について
言い訳をすることがありますが、それ以前に販売部数を
増やすために国民を煽りまくったことは言わないです。
彼らが国民感情を煽り、むしろ軍部がそういう道に
進まざるを得ないだとか、これ幸いにという面があった
ことは言わないです。
モルトケの法則も「能力も意欲も高い人が3位」
という点でセンセーショナルでした。
セミナーの講師などが鼻をぴくつかせて説明する
部分なんですが、以前説明した通り、誤訳からの
ミス解釈だと私は思っています。
ドイツ語の「motivation」を「動機」と訳すべき所、
「意欲」と訳してしまったから誤解が生じたのでは?
という意味です。
モルトケは軍人で、軍隊では司令官の命令に反して
部下が突出した行動をすることはご法度中のご法度です。
古くは、諸葛孔明の「泣いて馬謖を斬る」も馬謖が
軍令違反を犯したからです。
賤ケ岳での柴田勝家の敗戦も、甥の佐久間盛政の
突出行動からと言われています。
でも、この考えは上官が部下を縛りやすいように
という面もありますし、逆に部下の突出行動で勝利に
というケースも実際には多々あったろうと思います。
一番の問題は、センセーショナルな内容を
示すことでセミナーに価値を持たせようとする
セミナー開催側の姿勢でしょう。
2021.12.18
正直、「素晴らしいセミナーだった」なんて
思ったセミナーは、生涯、一度もありませんでした。
金をかけてセミナーを受けさせ、それで社員の
レベルが上がり、会社のレベルも上がると思いたい
経営者の自己満足だと思っていました。
社員にとっては迷惑以外の何物でもありません。
セミナー開催側からすれば、セミナーの内容より、
「効果がある」と経営者に思い込ませることが
一番の勝負だったでしょう。
そのための一例として、モルトケの法則などは
打ってつけだったろうと思います。
まあ、面白いと思ったことがないのは学校の授業も
ほとんどがそうだったんですが、「1:多」という
教育手法の問題かもしれません。
伸びる生徒を優先するより、落ちこぼれを少しでも
減らすに主眼を置いていたからかもしれません。
「やる気のある生徒は基本自習とし、わからない時
だけ質問を受けて教える。」
「やる気のない生徒は、書き取りとかドリル形式の
問題集を寝る間もなく強引にやらせ続ける」
てな方法が有効なような気もします。
面白くもなく興味も引かれないのにただ聞いて
いなければならないから、脳が何も反応しなく
なって、寝ちゃうという部分もあります。
まあ、授業は面白い授業とそうでない授業の
差が極端で、面白い授業をする先生はそうそう
いないという印象が今あります。