パチンコ・パチスロは戦後の社会に巨大な足跡を
残したと思うのですが、1900年代末をピークに、
その後は、急速に市場を縮小させています。
社会的使命がかなり弱まりつつあるように見え、
その最盛期真っただ中で社会人生活を送った者と
して、当時の提案書を掲載します。
やってた人、かなり多いと思います。
今もやってる人はけ結構いらっしゃるとは思いますが。
ちなみに「回胴式遊技機」というのは「パチスロ」
のことです。
1999年6月9日
昨今のパチンコ遊技者数の減少により、パチンコ店の
経営が圧迫され、倒産する業者が増大する中、
回胴式遊技機(パチスロ)の設置台数には著しい
増加傾向があり、回胴式遊技機パチスロが隆盛に
向かっていることはご存知のとおりかと思います。
注 1999年当時
そのためか、雑誌等により以下の動きが報告されて
います。
・パチスロメーカーのオリンピアが平和と提携をし、
平和の意見を取りいれた機種を発表。
平和の意見はリーチ演出に活かされ、販売を平和が
すべて取り行なう。
・ 三共が傘下企業である大同の工場にパチスロ用の
製造ラインを新設
(本件については合同立ち入り検査時に当社の社員が
三共の社員からも直接確認済み)
* 実際にパチスロの開発を行なっていることは確実であり、
保通協へ実際にパチスロを申請をしたという噂もある。
注:「保通協」とはパチンコ・パチスロの公的試験機関
・ パチスロ業界には、近年セガやコナミといった
ゲーム関連メーカー、そして海外メーカー、日電協
非加盟メーカーなど、様々な面から参入及びアプローチ
が相次いでいる。
2022.4.17
「平和」というのは、現在、いくつものゴルフ場を
抱えるPGMの親会社です。
平和は大ヒットはしなかったものの既に1999年に
初参入機「スノーキー」と、「ガイキッズ」を
発表しています。
「ガイキッズ」はパチンコメーカらしい動く役物を
搭載したパチスロで注目を集めました。
そして、
2000年「ルパン三世」、2002年「不二子2」
2003年「アントニオ猪木という名のパチスロ機」が
ヒットします。
とりわけ「アントニオ猪木という名のパチスロ機」
は、空前の大ヒットでした。
でも、私のいた会社は1999年にパチスロ開発を
スタートさせていましたので、スタート時点と
しては遅くなかったと思います。
が、私一人でしたから、遅々としてなかなか
進みません。
ちなみに「日電協」というのは既存のパチスロ
メーカーの団体です。
パチンコメーカーはパチンコメーカーで、
「日工組(にっこうそ)」という組合がありました。
日工組加盟メーカーも含めて非日電協加盟メーカー
からパチスロがどんどん発表され始めたんですね。