「時代に合わせた生き方、考え方を」
イメージとしてはですけど、今までの自分の考え
の誤りに気付き、そういう風につくづくと思った
ということなんでしょう。
もちろん、その場の照れ隠しでそう自嘲するケース
もあることでしょう。
自分の考えで長く上手く行っていたのに、この頃は
それが上手くいかなくなって叩きのめされ、そう思い
始めた・・・・・。
でも、そのつくづくと思った「時代に合わせた」
っていうその考え方を選ぼうとすること自体が、
再び誤っていると思うんですよね。
「世の中って、人間って、普遍的にはこうだから、
こうして行かなければ」という考え方から出たので
あれば分かります。
でも、所詮、「時代に合わせた生き方、考え方」
ってことは、第二次世界大戦中だったら、「男なら」
ってんで、17歳で戦時輸送船に志願して溺死です。
反対に、アメリカ軍に在籍なら、多くの一般市民の
住む日本の都市部に向けて爆弾投下のスイッチを押す
となります。
ヨーロッパ中世の魔女狩り時代なら、雄たけびを
上げながら女性たちの一部を虐殺です。
南北戦争以前のアメリカ南部に在世なら、白い
覆面をかぶって黒人の方々をリンチです。
「時代に合わせた生き方、考え方」なんてのは、
後の時代から見ればろくでもないものが多いです。
熱気に浮かされているというか、ほんの少し前の
日本の状況を考えてもそれはわかります。
元々がよい考え方ではないため、ありゃダメだと
なり、すぐにそれが廃れて新しい考え方が出て来る
だけです。バブルもそうだったでしょう。
「一生懸命勉強して、よい学校に行き、よい企業に
就職する」
なんてのはその典型例のような気がします。
そもそもこれって、その人の本来の資質を受験術
を磨かせることによってメッキ張りし、本来よりも
よく見せかける作業と言える面もありますし。
そして、社会に入ってメッキの剥げた彼ら、どれだけ
多くの人たちが競争の続く人生に絶望して退職し、今、
年金生活を送っていることか。
むしろ、メッキ貼り作業よりも自分が興味を持つこと
に熱中したり、手に職を付けた職人系の方々のほうに
幸せな人たちが多いような気もします。
2024.12.26
多分、考えなけりゃいけないことって、
「何が正しい生き方なのか、考え方なのか」
ってことです。
それがなかなかわからないから人間は苦労をする
ということもあり、実はそれが人の一生をかけた
修行なのかもしれません。