大須賀家で一度か二度お会いしただけです
ので、ご長男の方は、私、あまりよくは
知らないです。
ただ、彼も私のホームコースのメンバーで
その日は兄弟ともう1人を誘って来場されて
いました。
私がよく知らないものの、当日、私と一緒に
来場していた↓の彼が、長男の方をよく知って
たんですね。仕事の関係で。
1975年 豊橋駅二俣線ホームの決斗
本当に、人と人はどこでつながっているか
わかりません。
三兄弟以外のもう1人は次男のラグビー部
同級生で、当然、私の3年先輩の方です。
「韋駄天安井」と呼ばれていた方で、高校
時代に50mを6秒フラットで走ったという
伝説がありました。
先輩としてやった来た彼にも、高校時代には
ラグビーでけちょんけちょんにされていました。
けちょんけちょんにというか、彼へタックルに
行こうとしても触れませんでした。
が、30年ぶりに会った彼はお腹にラグビー
ボールをしまいこんでいるのかしら?という
体形に変貌しており、時の残酷さを感じました。
そして、お腹ってあんなに出っ張れるもんなんだ
とも思いました。
2024.8.26
安井さんは東経大に進学され、そこでラグビーを
続け、卒業後は東京の楕円クラブというクラブ
チームで更にラグビーを続けていました。
そして、彼の仲介で楕円クラブと豊橋JRCの間に
交流が出来、夏は菅平で合宿をしたり、お互いに
東京・豊橋を行き来しての活動が続きました。
菅平というのはスキー場でもありますが、
夏は大学を中心としたラグビーの夏合宿の聖地で
ラグビーグランドがめちゃあります。
そう言えば、上記二俣線の彼がアキレス腱を
断裂したのも菅平での合宿中でした。
チーム内でアタックディフェンスをしていた時に、
私の目の前でボールを持っていた彼が消えました。
「?」と思って地面に視線を落とすと、ボールを
持ったままの彼が地面に這いつくばっていました。
チームメイトの全員が、
「わざわざ長野で面倒くせえことをしやがって。」
と思ったものです。
そして、くだらないんですが、豊橋遠征をして
来た楕円クラブのキャプテンが全員の前で、
大真面目に出したクイズ。
これも忘れられません。
彼、新幹線の中でずっと考えて来たそうです。
「毎朝、ラジオ体操をする愛知県の企業が
あります。さて、何という会社でしょう?」
答え:あっ、一、二、三(愛知日産)
その時も「くだらねえ~」と思いましたが、
改めて思い返してもくだらないです。
クイズ史上、一番くだらないです。