松尾雄二さんが明治大学・新日鉄釜石の
10番スタンドオフとして、9度の優勝を飾ります。
続いて、同志社時代は3年連続で松尾雄二さんに
決勝で屈した平尾誠二さんが神戸製鋼の10番として、
1988年より7連覇を果たします。
そして、1977年、この年は松尾さんも新日鉄に
いたはずで、優勝していれば松尾さんは個人10連覇、
新日鉄釜石は9連覇でした。
これを止めたのが天理大学からトヨタ自工に入社
していた15番フルバック田中伸典さんという気が
します。
既に大学時代から全日本入りを果たしており、
トヨタ自工では中心選手であったはずです。
が、彼の活躍はここまで。
その後の情報は途絶えます。
この時期に私は天理市のグランドですとか、
夏の菅平で彼を見かけたわけですが、
「トヨタ辞めたの?」という疑問はありました。
それから30数年、その疑問の回答を見つけることが
出来たのが、ネットで見つけたこちらのブログです。
「 田中伸典先生 」講演 ー 五郎丸ならいかないけれど ー
25才の時に天理教の道に入られていたんですね。
まあ、これも運命なんでしょうが、田中さんが
そのままトヨタに残られていたら、釜石の
7連覇はなかったような気がします。
そして、ラグビーの強豪として名を轟かす
トヨタも「強豪」という名にとどまらず、
一時代を築いたチームになっていたかもと思います。
スーパースターには、周囲を大きく動かす
力がありますので。
2021.7.11
スーパースター・天才というのは、優れた人
というよりも、時代をこじ開けるだとか、
多くの人に影響力を与える人だと思います。
松本人志さんをお笑いのスーパースターと
考える人もいるかもしれませんが、扉を
こじ開けたのは1980年初頭の方々です。
タレントで言えば、さんま・たけし・タモリの
BIG3の方々が筆頭でしょう。
たけしさんとタモリさんは文化人にもなり、
さんまさんはいまだにお笑い怪獣です。
彼らの開いた道をとんねるず、ダウンタウン、
うっちゃんなんちゃんらの次のスーパースターが
耕していったという感じはします。
それを今、例えば、TV局関係者がとんねるずを指し、
「オワコン」だとか言っているというのを聞くと、
無性に腹が立ちます。
「オアコンだよな。」
「そうそうオワコン、オワコン。」
と言い合うことで、とんえるずを使っても
視聴率を取れない言い訳にしているような
気もします。
とんねるずを使っても視聴率の取れる番組を
作る自信がなく、そう言って逃げているとも
言えるかもしれません。
理由なんてどうにでも作れますし、
多くの人がそう言い張れば事実に聞こえて
しまうことは多々ありますので。