小さい頃から相撲を見て来て、もう60年超
となってしまいました。
そんな中で何年経ってもずっと指摘され
続けて来たことがあり、「本当か?」と
その指摘をずっと疑問に思って来ました。
「今の力士は稽古が足りない。
昔の力士はもっと稽古をしていた。
だから、今の力士はすぐに怪我をする。」
相撲の解説、或いは、新聞のスポーツ欄で、
何度も聞いたり読んだりしてきました。
そして、そう指摘するのは必ず元力士の親方
であったり、引退して解説者になった元力士、
更に角界に詳しいとかいう素人たちでした。
そう言われていた当の力士が引退した後に、
今度は逆の立場になってそういう指摘をする
ケースも何度となく見て来ました。
「今の力士は本当に稽古をよくする。
一昔前の俺たちの頃に比べれば、
信じられないぐらいの稽古量。」
なんてコメントした親方、解説者などは
1人も見たことがないです。
となると、可能性としては、大相撲の始まった
江戸期中期がもっとも稽古量が多かったという
ことになりかねません。
信じられます?
結論を先に書いてしまえば、
稽古量と怪我は関連性がない。
あるとしたら、衝撃の強さと体重の重さ。
むしろ、可能性としては稽古量が多いほど、
確率の問題で怪我をするケースが増える。
今も昔も稽古量は力士、或いは部屋によって
違い、それは稽古を見ていなくても、腿の太さ、
肩回りの盛り上がりで大体わかる。
稽古をよくしている力士は今も昔もいるし、
足りない力士もまた今も昔も存在する。
相撲素人の私ですが、どこから行きましょうか?
ただ、私は素人ながら相撲を取るのも好きで、
幼稚園の頃から大学のラグビー部に至るまで
よく相撲を取っていました。
小学校の頃は本気で相撲取りになりたいと
思っていましたが、途中で、「細すぎて無理」
と諦めました。
2024.5.25
子供の頃の大相撲解説と言えば、神風さんか
玉ノ海さんでした。
で、彼らの言う
「昔の力士はもっと稽古をしていた」という
話しで引き合いに出たのが、元横綱玉錦が
親方だった頃の二所ノ関部屋。
玉錦は玉ノ海さん、神風さんの師匠で、彼らも
そこで稽古をしていたわけですから、事実だった
ろうと思いますが、玉錦の別名は「ボロ錦」。
現役中は猛稽古で膏薬と包帯だらけだったから
だそうですが、その彼が親方ですので、二所ノ
関部屋の稽古はそりゃ厳しかったのでしょう。
玉錦は昭和13年(1938年)の引退ですので、
これらはざっと100年近く前の話となります。