もう名前を出してもいいと思うけど、
この企画を提出し、開発において責任者を
務めたのが神林さん。
元々、平和で羽根物のヒット機種を手掛け、
何があったのか桐生から名古屋まで、当時の
私がいた会社に転職されて来た方です。
私とはほぼ同年代でしたし、彼もパチンコが
大好きで、生真面目な性格でもあり、私は
仲良くさせて頂いていました。
その彼が江頭さんの版権を提案してきた時、
私は調べられる範囲ですぐに調べ、版権力は
相当に強いと、その旨をフォローしました。
また当時、一部のホール関係者の方々に意見を
お聞きする場も設けており、彼らもまた絶賛。
が、それでも一部の開発者たちは強固に反対。
今となっては私の推測に過ぎませんが、出世を
考える人間の中には、同じ社員であっても敵だ
と考える人物もいるんですね。
出世を競うライバルだから、彼らに功績を上げ
させたくはない、功績を上げられるとその分、
自分が出世しにくくなる。
それは私自身も何度かそういう目に遭っており、
これまでに書いたことがあるように、
再抽選を否定しておきながらそれが理由で
大ヒットとなると、自分が発明したと言い張る。
連続予告の仕組みを知らない内に協力会社に
伝えてしまい、自分の担当機種にいち早く搭載
させてしまう。
自分の関与していない遊技機の開発には反対する。
開発となってしまったら今度は販売に反対する。
まあ、こんな社員はどこの会社にもいるとは
思いますが、江頭に可能性があると思ったから
こそ、強硬に反対したのかもしれません。
もちろん、その可能性に気付かないボンクラ
だったという可能性も否定できません。
そして、「CR江頭2:50」。
2011年、今から13年前のリリースですが、
最後のその会社らしさのあったパチンコ台だった
ような気がします。
2024.7.19
上記のような努力が実り、私を始め多数の
社員が去った後、一時的に彼らは社内の
天下を取ったんでしょう。
でも、今、彼らの名はその会社の要職者の
中にはありません。
そして、彼らが今どこで何をしているのかも
知らないです。
そして、提案者・責任者だった神林さん。
桐生に家族を残してきたはずですので、
桐生に帰って1円パチンコでもしこしこ
打ってるのかもしれません。
私は途中からパチスロ好きが高じてパチスロの
開発を目論んだんですが、彼はずっと一貫して
パチンコでしたねえ。
ちなみに当時のその会社としては「江頭」が
久々のスマッシュヒットとなりましたので、
当然、第2弾が考えられました。
が、江頭さんご本人から続いての商品化を
断られてしまったんですね。
再度となれば、当然それなりのお金も江頭さん
サイドには渡ったはずです。
理由はわからなかったんですが、それを断るのも
なんか江頭さんらしいとは思いました。
開発当初、江頭さんご本人が開発室にお見えに
なり、「ド~ン」とかのギャグを披露した後、
「お前ら、頑張ってくれよ~」
と、しわがれ声でニコニコしながら一人一人
と握手をしていったことも忘れられないですねえ。
ちなみに、私の手掛けたパチスロがようやく
販売を待つばかりになったのに、直前になって
販売がストップとなったのは、やっぱり、
「開発となってしまったら今度は販売に反対する。」
という社員がいたからだったと思っています。
そして、その社員も今はろくなことになって
いないように見えます。