もちろん、今の蒲信ではなく、40年ちょっと前、
私が入庫して2年目ぐらいの時の話です。
注 信用金庫では入社と言わず、入庫と言います。
金庫に閉じ込めてしまおうという魂胆があるのか
どうかは未だに不明です。
現在は、社会福祉法人太陽の家 愛知事業部に
蒲信「太陽の家支店」がありますが、当初は、
本店から昼の1時間だけ、出張業務に行っていました。
ここは身体障碍者の方々が働いている施設ですので、
なかなか金融機関まで出向くことは出来ず、昼だけ
入出金の業務をするために訪問ということでした。
その時にそれを担当していたのが、私と同期入社の
1人、そして、冨田という30才前後の先輩でした。
当時は、まだまだ交通量が少なかったんでしょう。
幹線道路である国道1号線でも1時間に10台、
車が通るかどうかという時代でしたので(ウソ)。
訪問を繰り返す内、いつしか車でタイムアタックを
するようになったんですね。
蒲信本店←→太陽の家間を片道 何分何秒で行けるか?
ルールは「交通法規遵守(ただし、スピードは少々
目を瞑る)」というものでした。
とは言っても、当時の550ccの軽に男が3人乗り
込んでいますので、スピードはなかなか出ません。
そして、街中の道路は前の車がいますので、
もちろんスピードは出せません。
結果、前に車のいない所でどこまで加速できるか、
そして、海岸通りを走る際、交差点をいかに減速せず
回りきれるかが勝負でした。
まずここですね。
信号が青の時に、ここをいかにスムーズに回りきるか。
そして、すぐにここで左折。
その後は浜町の港湾道路を爆走という感じでしたが、
信号が赤に変わってしまった時の残念さといったら。
2023.7.19
まあ、今だからこそっと話せる内容ですね。
軽自動車に3人乗っていて、たいして加速出来ない
としても、バレたら大ごとだったと思います。
ペダルをベタ踏みしても、全然、加速しなかったん
ですが。
一方で、信用金庫の顧客サービスの一環として、
姓名判断の先生を招いたことがありました。
「サクラとしてお前らも行って来い」と言われて、
占ってもらったんですが、
「画数が良すぎる。
あんたじゃ、これを消化しきれず、逆に身の破滅に
つながる。」
という結果に。
「そんなこと言うか?」とは思ったんですが、
チキチキマシーンで一緒だった冨田さんも全く
同じことを言われていました。
そして、冨田さん、それから何十年も後なんですが、
自殺されてしまったんですよね。
噂では株投機の失敗でということでしたが、楽しく
頭の良い先輩だったんですがねえ。
私は、まだ何とか生きています。
身の破滅に気付かなかっただけかもしれませんが、
まあ何とか楽しい人生を送り続けています。
ちなみに、同期のもう1人というのは、以前書いた
高校時代に豊橋駅二俣線ホームで決斗をした人物です。