高校時代、判を押したように7:31分
蒲郡駅発の東海道線に乗り、豊橋まで
通学していました。
電車の形は多少変わっても、今の銀色タイプに
なるまで、一貫として塗装色は緑のボディに
オレンジのストライプでした。
当時の電車は座席の下から強い暖気が昇り、
冬などは座席に座っていると本当に気持ちよく、
蒲郡から豊橋までの20分でもよく眠ってしまいました。
当然、ふと目が覚めると豊橋駅を過ぎ、
次の二川駅ということもあります。
初めてそれをやってしまった時は
慌てて下車し、なけなしの小遣いをはたいて、
タクシーで高校まで向かいました。
それも度重なると、慌てることが面倒に
なりますし、「この電車はどこまで行くのか?」
という好奇心も湧き上がってきます。
タクシーに乗る小遣いもそうそうは
残っていません。
そのため、敢えて二川駅では下りず、
そのまま眠り続けてみます、敢えて。
すると、もう本当によく寝たという頃に、
「終点~、はままつ、はままつ~」
というアナウンスが聞こえてきます。
「そうか、浜松が終点なのか。
そうなら、この次はどうなるんだろう?」
という新たな好奇心が再び芽生えてきます。
そのため、再び敢えてそのまま寝ていると、
電車がこれまでとは反対側に動き出します。
「○時○○分発大垣行き、定刻通り浜松駅を
出発しました。」
というアナウンス。
「おお!このままにしてりゃ、
豊橋駅で下りれるじゃん。」
大航海時代、新航路を発見したコロンブスの
偉業に匹敵する歴史的な大発見でした。
2020.12.21
味をしめて、いや新航路点検のため、
寒い時期はちょくちょくこれをやりました。
先生?
当時はストもあったし、今よりももっと
鉄道が天候に弱く、電車が動かない、遅れる
ということはよくありました。
それも、電車1本の差で間に合う生徒と、
間に合わない生徒というケースさえありました。
ですので、2時間目が終了しそうな10時半頃に
「電車が遅れました」と言いながら登校しても
当時、とやかく言われることはなかったです。
当時の時習館には細かなことを生徒にいちいち
言わないという校風があったような気もします。
「それって細かなことか?」ということは
ありますけど。
加えて、「浜松まで行った」と親に伝えると、
「おじさんのとこに行きゃよかったのに。
小遣いぐらいくれるかもしれんよ。」と。
母親の次兄がお偉いさんで浜松駅にいたん
ですね。
お袋はてっきり日曜日に行ったとばかり
思っていたんでしょうけど。
言われた通りに浜松駅でおじさんの名を伝えると、
えらく立派な所に通され、おじさんが1万円の
小遣いをくれる。
当時の1万円、しかも高校生が持つ1万円なんて、
今の自分なら好きにできる十数万円を財布に
入れてるようなものです。
嬉しかったですねえ。
ですので、今でも浜松は大好きです。
もちろん、浜松餃子も大好きです。