基本、人間は遊ぶ動物だと思います。
赤ちゃんが教えられることもなく、
勝手に周囲の物で遊びだすというのは
その証拠の1つです。
まあ、それが食べられるものなのか、
そうでないのかを吟味しているという部分も
あるでしょうけど。
怠惰の象徴ともされかねない「睡眠」もそうです。
一時記憶は「海馬」に残り、後で思い出せる
古い記憶は「大脳皮質」に移動して残ります。
RAMとハードディスクみたいな関係です。
そして、睡眠中に「海馬」の記憶が
「大脳皮質」に移動するそうです。
だから、一夜漬けで「海馬」に知識を詰め
込んでも、睡眠が足りなければ、「大脳皮質」
には移動せず、いつか忘れてしまいます。
また、ストレスを解消するのに「睡眠」が
欠かせないという指摘も出ています。
更に言えば、
「睡眠中の脳内では、アルツハイマー病の
原因のひとつとされるβアミロイドなどの
毒素が、まるで洗い流されるかのように除去」
という研究結果もアメリカの大学から
発表されています。
参考⇒睡眠中に毒素が洗い流される
これらの意見が本当に正しいのかという
件については、また別の話になります。
でも、楽をする、遊ぶ、寝るということにも
それが必要な意味がちゃんとあるのだろうと
思います。
ですので、それらを削って頑張るということが
必要な場合もありますが、それは非常手段です。
ちゃんと遊ぶ、睡眠を取るということは
人間に求められているものです。
それをグータラとか怠け者とか非難するのは
多分、間違っています。
それにも十分な量というものがあり、
上記の考えを盾に遊ぶことや寝ることを主張
するのも、多分、間違っていますけど。
2020.11.2
「先日のblogを拝見しました。
『遊びじゃダメなん:ゴルフ』
私も昨年はまったく同じでした。
まあ、見方によっては現在も同じですが、、、。
そんな力がゴルフには在ると私も思います。」
というお便りを頂きました。
ですので、私だけの特殊な体験ではないような
気がします。
一方で、
「これ、俺が書いた?
いや、俺じゃないよなあ。」
という感じで、文章が降ってくることが
あります。
逆に、何十年も思い出さなかった古い記憶が
突然、湧き上がって来るということもあります。
高校卒業時に「慶應へ推薦で」という話など
まさにそうです。
当時、それに意味を見い出せなかった私は、
その後、そのことを思い出すことは一度も
ありませんでした。
でも、娘の特待の話なんかを書いていた時に
突然、記憶の底の方から湧き上がって来たん
ですよね。
夕方、高校の第一グランドと第二グランドの
間にあるベンチに腰掛け、話しかけてくる
木所先生の顔まで思い出されました。
多分、その記憶は海馬ではなく、大脳皮質の
方に移動して、40年以上眠ってたんですね。
そういう点で、人間の脳なんてたいしたこと
ないとも言えるけど、スゲエなと思うことも
あります。