多分、人間の営みは、三欲以外、
遊びから発生したものが相当多いです。
ある日突然、人類は弓矢や槍を持つように
なったのではありません。
子供が木の棒などで遊んでいてそこから
狩猟が始まったのかもしれません。
魚釣りも子供の遊びから発展した可能性が
あると思います。
大人に手伝わされて何かの種を住居に運び、
こぼれ落ちた種から穀物が生えていることに
気付いたのも、遊んでいた子供かもしれません。
「そんなことあるわけない」と思った瞬間から
人間はその部分に注視しなくなります。
そういう先入観の少ない子供が、遊びながら
「あれっ?」と思い、そこから発展した
ものは多いような気がします。
高崎山のサルだったか、芋を海水に漬けて
食べる習慣は子ザルから始まったそうです。
スポーツなどその典型で、バスケットや
バレーボールのように作られた競技も
あります。
でも、ほとんどは子供の遊びからでしょう。
そして、競技人口が増えると多くの人たちと
対戦という機運が盛り上がり、そのために
共通ルールの作成が行われていきます。
ここまではいいんですが、ここまで来ると、
運営の中心になる人たちが、箔を求める
ようになります。
それを使ってお金儲けをしようとする人たち
も同様です。
「遊びとは一線を画すものだ。」
「心技体の中では心がもっとも重要。」
「だから、これからは○○道と呼ぼう。」
「じゃあ、こっちは国技と呼ぼう。」
「そうだ、王室の名を使おう!」
(ロイヤルなんたらとか天皇杯の類です。)
とか。
そんな大層なものでは、元々ないです。
それはスポーツを統括する立場の組織が、
これまでどれだけ不祥事を起こして来たのかを
考えれば説明も出来ます。
オリンピックの総本山IOCでさえいくらでも
ありますし、日本でも何度も性懲りもなく。
スポーツマンシップ?なんて点では、
ボクシング、アメフトが少し前に世間を
大騒がせしました。
ゴルフのカリスマであるタイガーもやりました。
セックス依存症だったそうです。
もちろん、非難しているわけではありません。
元々、スポーツマンが聖人君子ばかりなんて
思ってもいませんので。
むしろ、「さすがタイガー、やるなあ。」
「笑わしてくれるわあ。」と思いました。
そして、今、瀬戸大也さんも叩かれていますが、
正直、「あんなもん・・・・・・・」
と思います。
その是非を書こうとすると、今の文化の
成熟度とマスコミの感覚では、私も袋叩きに
されそうですので、書きません。
でも、瀬戸大也さんをアスリートとして
評価した場合、不世出の選手とも言えます。
技量は技量、心は心で評価できる時代に
なって欲しいです。
2020.11.3
フリスビーが流行り始めた頃なんて、
子供の遊び以外の何物でもありませんでした。
それが今や世界大会まで開催されています。
遊びからスポーツへと変わる様をずっと見てきた
ということになります。
スケートボードもそうです。
Michael J. FoxがBack to the Futureの中で
乗り回していたシーンが印象的ですが、
今やオリンピック種目です。
権威付けをして利益を得てきた人たちが
どんな分野にもいて、彼らが遊びじゃない、
スポーツだ、文化だと言い出したのでしょう。
そのために、プレーヤーには品行方正を
強いる一方で、運営側自体は何をやってんだ?
ということを引き起こしがち。
もちろん、聖人君子ばかりではありません。
プレーヤーたちも、運営側も。
紙相撲も相撲も、野球盤も野球も遊びと
いう点では何も変わらず、やっている人も、
普通の人と何ら変わりありません。
参加人口が多いか少ないか、それで金儲けを
しようとす人間がいるかいないかだけです。