低学年時は回旋塔で遊び、学年が上がるにつれ
徐々に球技への傾倒が深まっていきました。
しかし、小学校時代、6年間を通じて、もっとも
熱中したのが「Sケン」です。
Wikpedia Sケン
ネットで調べるとこんな感じで出て来ますし、
いろんなアレンジルールも各地域であったとは
思いますが、私たちの「Sケン」は次のような
感じでした。
私たちは「Sケン」ではなく、単に「エス」と呼んで
いたのですが、今考えると、エスの外でもケンケンで
なくていいから「Sケン」ではなかったんですね。
ケンケンでなくてもいいとなると、ちっとも
OUTになる人間が出て来ない、そのため、外側に
大きな円を描き、線を越えたらOUTにしたんでしょう。
線を越えた側に身体が出されなければ、OUT
にはなりませんので、相撲とレスリングを
混ぜたような肉弾戦が繰り広げられました。
そして、もう1つ特殊ルールがあって、OUT
になった人は敵の宝から順番に手をつないで
並ぶというものでした。
敵陣に入って行って手をつないでいる人の
手と手の間を断ち切れば、断ち切られた外側
の人はゲームに復活出来ます。
ですので、味方の有力者が倒されると、勝つためには
彼を助けるべく敵陣へケンケンで救出に行かなくては
なりませんでした。
助けたけれど、ケンケンであるため自分はOUTに
なってしまうというケースもありました。
逆に自分がやられてしまった時は、味方が助けに来て
くれるのをひたすら待ちます。
今考えると、お互いに助け合うということが
当たり前の遊びだったため、それで私たちの小学校では
「いじめ」というものがなかったかもしれません。
ただし、危険は危険でした。
小1と小6が戦う場合は、怪我をすることが逆にあり得
ませんでしたが、実力伯仲の場合は、相撲+レスリング
ですので、壮絶な戦いが繰り広げられました。
1:2、1:3の戦いも当たり前でした。
ちなみに、力の差があれば1:2までは何とかなり
ますが、1:3は無理です、経験上。
1人に片足を持ち上げられてしまうと、the ENDです。
う~ん、めちゃめちゃ楽しかったですねえ。
2021.11.26
これを毎日、始業前、授業の合間の休憩時間ごとに、
昼休みにも、そして放課後にも延々とやるため、
学生服は常に校庭の土まみれでした。
洗濯をしてもらっても、その日のうちに土だらけに
して帰ってくるため、母親にはいつも「もう、毎日
毎日」と小言を言われました。
でも、このゲームは楽しかったです。
書いている今も、もの凄く興奮して来ました。
そして、味方をよく助ける児童は当然ながら
みんなからの信望を集めていきます。
ええ、私の男っぷりは小学校時代のこの遊びで
培われましたね、きっと。
ちなみに、毎日やるため、毎日書かずにすむよう、
運動場のトラックの内側に鉄杭で深く「S」と
その外側に「O」が刻み込まれていました。
当時、ハッブル宇宙望遠鏡が地球を周回していれば、
多分、カメラに収められたと思います。