例えば、難しい漢字の典型として薔薇という
文字があります。
私、これなんて得意中の得意でスラスラと
書けましたが、大人になってふと気付くと
書けなくなっていました。
そして、それで困ったことは何もなく、
「バラ」と書ければ、充分です。
もっと言えば、薔薇と書ければ、
大人になってベンツが手に入るわけでは
ありません。
むしろ、絶対に書けなかったような人こそ、
大人になってベンツを手に入れがちです。
そんな薔薇ですが、書けるようになった
人は覚えるのに相当の労力を使ったはずです。
書家や漢字の専門家は覚えて書かれれば
よいと思いますが、教育としてそういう
ことが行われるのはどうか?と思います。
「常用漢字にないから、そんなことは
強制されていないはず。」
と、指摘される方もいらっしゃるかも
しれません。
でも、進学校辺りの高校の先生の中には
嬉々としてこのような問題を出す方もいます。
全員が満点を取らず、得点差が出るように、
偏執的な設問というのは、現国に限らず、
多くの教科で多くの方々が経験して来たはずです。
常用漢字でというのであれば、「挨拶」「蓋」
「骸」「毀」「窟」などなど、書けなくても
いいじゃんというものはいくらでもあります。
ちなみに「読み」は今まで以上に重要に
なって来ます。
読むことさえできれば、キーボードで
漢字変換が出来るのですが、「げいいん」と
打ってしまうと、「鯨飲」は出て来ても、
「原因」は死ぬまで出てきません。
2020.12.11
ゆとり教育は失敗だったという反省はあるかも
しれませんが、あれは取捨選択の中身を十分に
吟味しなかったから失敗したという気がします。
単純に総時間のみを平均的に削ってしまって、
大事なことまでを学習の対象外にしてしまった
部分があるのでは?と。
ざっと言ってしまえば、
科挙的な教育・試験システムを構築したために、
大企業にとって都合の良い人材が集まるシステムは
完成した。
でも、実はそのシステムから早くドロップアウトし、
得意分野をものにした人の方が成功しやすい
世の中になってしまった。
一生懸命勉強をし、同じレベルの人が集まる
大学で更に切磋琢磨し、やはり同じレベルの
集まる大企業でも切磋琢磨。
その中で生き残れる人はほんの一部で、
多くの方々には50代半ばでの早期退職か
閑職の道が残されるのみ。
政治家もそうですよね。
世襲政治家、秘書上がりの政治家以外は、
役所の中で出世の見込みのなくなった役人が、
ドロップアウトして政治家としての成功を狙う。
非常に多いと思います。
こういう部分を学校では教えていないと思い
ますし、やる必要のない努力も排除して
あげられればと思います。