連絡
9月1日(日)は営業予定も、マンスリーSは
開催中止です。
台風でゴルフもできないので、別の話題を。
毎年、各小中高で万を超える生徒会長が誕生
していると思いますが、どういう経緯でという
話はほとんど知られていないと思います。
そのため、見聞きした1970年代のマンモス中学
の生徒会長の話を。
彼の世代は、団塊の世代と団塊の世代ジュニア
に挟まれた時代であり、それでも今よりは生徒数
の多かった時代です。
彼の通う中学校は全校生徒1,500人ほどで、
近隣ではもっとも生徒数の多い中学でした。
その中学校では毎年3年生が前期・後期の
生徒会長を務めるという習慣がありました。
前期はともかく、後期は高校受験の準備
期間に当たりますので、多分、立候補者を
出すのに、先生方は苦労をしたと思います。
いや、今なら希望者が立候補かもしれませんが、
当時は好き好んでという生徒は少なく、
基本、先生に働きかけられてでした。
前期ならともかく、後期なんてまさしくそう
です。
今振り返ってみると、後期の生徒会長はみな
進学校、当時で言えば豊橋1群に進学しており、
受験に心配のない生徒が選ばれたのでしょう
彼も級長をしており、成績はよかったんです
よね。
で、彼は先生に嵌められ、思いもしなかった
生徒会長に立候補することになったんですね。
2024.8.31
どうやって嵌められたのか。
それは明日書きますが、今でも同じ手口を
使われたら断れないでしょうねえ。
ましてやまだ中学3年生ですので、彼には
なす術がなかったと思います。
ところで今もそうかもしれませんが、当時は
小学生や中学生は彼らだけで映画館に行くことを
禁じられていました。
ボーリング場、スケート場などもそうですが、
中学生にもなって親と行く生徒はいません。
彼がよく行ったのはその3つ全てでしたが、
特に映画にはよく行きました。
蒲郡にロードショー館などはないため、
彼が好んだのは「マカロニウエスタン3本立て」
「寅さん祭り3本立て」ですね。
全然毛色が違うんですけど、先生方も禁止は
しているけれど、見回りなどはしていなかった
ように思います。
そして、出没してたのはほんの一部の生徒たち
だけだったと思いますし。