居眠りが原因となって生徒会長に立候補した
彼ですが、思いもかけず対立候補が現れて
選挙に。
「うわ、面倒くさあ」という気持ちしかなかった
彼ですが、そうなるとやっぱり、「公約」を考え
ないといけません。
そこで彼が考え出したのが、「自転車通学範囲の
見直し」でした。
これ、多くの人は「何じゃそれ?」と思うこと
だろうとは思います。
でもこれは校則に記載されていないけれど、
学校の決まりに対して異議を唱えるという点で
当時としてはかなり勇気のいるものでした。
50何年も前のことですし。
先生方としても立候補するように勧めたものの、
まさかそんな公約を出して来るとはだったで
しょう。
そのため、先生方も「うわ、面倒くさあ」と
思ったことでしょう。
高校に入っての自転車通学圏は「学校から円で
半径2km離れていれば」という非常に明快な
ものでした。
しかし、当時のその中学校では、〇〇町という
地区単位で区切っていたため、自転車通学して
いる生徒よりも遠いのに徒歩通学という生徒も。
それで、生徒間に不満が出ていたんですね。
彼の自宅は中学校から1.4kmであり、あと少し、
80m遠ければ自転車通学という位置にありました。
そのため、見直しで毎日、走って通う必要が
なくなるかもという目論見もありました。
当選後、早速、これに取り組み、実際に各町の
交差点ごとに実測をし、改定案を作りました。
そのままの案は顧問の先生の反対で通りません
でしたが、概ね通ってかなり改善されたとは
思っています。
まあ、改定案でも彼の徒歩通学は変わらず、
「クッソ~」と言いながら、その後も走って
通っていましたが。
2024.9.3
改定案で通らなかったのは、農地の多い地区に
ついてです。
「人気の少ない地域を通るから、特に女生徒は
危険。距離はないが安全性の点でその地区は
自転車通学をそのまま認めろ」と。
若かったですし釈然としない気持ちもありま
したが、まあ、ほかを認めてくれるならと。
でも、その中学、結構、校則が緩かったから
認めてくれたという点もあったと思います。
映画、スケート、ボーリングでも、禁止は
されていたものの補導されたなんて聞いた
ことはなかったです。
「休日外出時の服装も制服で」となっていま
したが、誰も守っていませんでしたし、
髪型も丸坊主指定ではありませんでした。
豊橋市の藤沢町にあったスケート場に行くと、
丸坊主で制服姿の西浦だとか形原の中学生が
小坊主の集団?てな感じで滑っていたのに。
同じ蒲郡市教育委員会の管轄下のはずなのに、
なぜあんなにも違ったのかという思いは
逆に今あります。
中学校の冬季、毎週のように弁当のおにぎり
持参でスケート場に通いました。
大喰らいの当時、昼食代までの支払い能力は
なかったです。