苦学生
ほろ苦さを感じさせてしまう言葉です。
学生時代の年末、ボロボロの学生服を着、
大きなリュックを背負った青年が、
実家を訪ねてきたことがありました。
聞くと、
立教大学の大学生で、親にも先立たれたため、
学資を賄うために故郷の昆布を売り歩いている。
買って頂けないでしょうか?
と、泣きそうな顔で。
当時でも、学生服を着ている大学生は、
応援団ぐらいで、ほかに見たことは
ありませんでした。
そして、地方でも大学生のバイト先はいくら
でもあり、みんな、バイトをしてたんですよね。
私も普段やっていた家庭教師のほか、
年末・お盆などは酒屋の配達のバイトを
していました。
そんな中、ボロボロの学生服を着て、
お涙頂戴で昆布を売り歩く奴。
その昆布の代金は、ほぼ半日分のバイト料に
相当していました。
そのため、何か訳もなく腹が立って、
ふらふら売り歩いとらんで、バイトしろ!
と、怒鳴りつけてしまいました。
まあ、これ自体が彼の割のいいバイト
だったのかもしれないのですが。
ただ、「ひょっとして本当だったら。」
という少しの悔いが今でもあります。
2020.12.31
年の暮れということでこんな話を思い出して
しまいました。
当時はスーパーでアルコール類を売って
おらず、酒屋に配達を頼む家庭が多かった
んですよね。
ビール瓶1ケースは結構重たいですし。
そのため、私のバイト先の酒屋さんには、
サザエさんに出てくる三河屋のサブちゃんの
ような店員が3人いました。
三河屋さんと言えばサンちゃんの方が
しっくりくるという方も多いとは思いますけど。
で、盆・年末にはお中元やお歳暮の受注が
あり、その配達に大学生が雇われるという
時代でした。
他のバイトだと時給が400円程度で、
酒屋さんは500円くれたので、
こちらとしても有り難いバイト先でした。
軽トラで配達中、片輪を下水溝に落として
しまうということがありました。
荷台にはビールケースだとか、水物の荷物が
山ほど乗っています。
その荷物を全部下ろし、荷台の下を持って
車を持ち上げ、タイヤを道路に戻しました。
真夏でしたので、汗びしゃになりましたが、
さすが現役の大学ラグビー部。
今なら、とてもそんなことは出来ません。
若い時は、パワーと、とりあえずやって見る
という無茶苦茶な思考がありました。
ただ、そこのバイト先の昼食は弁当屋さん
のものだったんですが、サバの干物、味噌煮、
醤油煮、塩焼き、竜田揚げとサバが週に5回。
サバのゲップばかり出るわで、その後、
十何年間はサバを食べられませんでした。