ゴルフとパチンコ・パチスロ⑤
↑こちらで、2000年前後にパチスロの
大ブームがあり、
多くの学生、予備校生が
ホールに通いつめ、そのまま「スロプー」
と呼ばれるようになります。
と、書きましたが、この時期にも
それに近いことが起きています。
1980年、「フィーバー」という名で
三共から今で言うセブン機が登場しました。
現在のパチンコ機の当りは簡単に言えば、
次のように決定されます。
①当りかどうかを専用乱数で決定。
②当りなら当り図柄(777など)、
ハズレならハズレ図柄(326など)が
決定され、その図柄が表示される。
ところが、当時のセブン機には①がなく、
どんな図柄が揃ったかで、当たりハズレが
決定されていました。
ですので、
ある目が出たら次の停止目は自動停止まで
待つと当り図柄で自動的に停止する。
(出目移行法則)
↓
ある出目で停止するまで停止ボタンで
出目移行を変えていく。
という攻略法が生み出されましたし、
出目を制御する乱数の周期が非常に遅く、
左側の停止目を見て次は左側の停止目が
当り図柄の1つになるよう停止ボタンで操作。
↓
当りの確率が1/250から1/25程度になる。
という攻略法もありました。
それまでパチンコで長時間頑張って、
打ち止めにしても3~4,000円。
フィーバー機の登場でそれが8~15,000円に
引き上げられ、かつ、攻略法があるのですから
多くの学生がパチンコにのめり込みました。
2021.1.2
当時はインターネットもスマホもないため、
情報が極端に広まることはなく、かなり長い
期間、攻略が出来ました。
パチンコ開発の一環で、同年代のホール関係者、
コンサルの方々と後年、知り合うことになる
のですが、彼らは皆、東京でこれをやって
いたそうです。
そして、そのまま攻略側からパチンコ関係の
仕事にズブズブと嵌ったというか、そこで
天職を得られた方が多かったようです。
私は、2つ目の方の攻略ですね。
それが出来た「バックファイヤー」を求めて、
愛知県下の各地まで出かけました。
(設置されている店舗数が少なかった)
ただ、私の場合、12時からラグビーの練習、
夜は7時から家庭教師という制約があり、
一日中というわけには行きませんでした。
そういう制約のない学生たちは一日中、
ホールでうごめき、我が世の春を謳歌し、
ということはあったでしょう。
もちろん、大学にも通わず、途中でドロップ
アウトした学生は星の数だと思います。
私は私で、攻略していたバックファイヤーの
製造メーカーである豊丸産業に後年、転職
することになります。
当時、メーカー名など知らず、バック
ファイヤーを作っていたメーカーだと知った
時は、本当に運命を感じました。
必ずしもよい運命ではなかったなあと、後年、
思いましたが。