今は天竜浜名湖鉄道というらしいのですが、
その頃は二俣線と言い、三ヶ日あたりの生徒が
それに乗って豊橋まで通学していました。
1987年に廃線となったそうですので、
元々、そんなに多くの便数も乗降客もなく、
ひっそりとしたホームでした。
加えて、場所も東海道線のホームの向こう側で、
新幹線のホームとは距離がありましたので、
目立ちにくい場所でもありました。
いつもの電車に乗り、豊橋駅で下りようと
すると、同級生の1人が絡まれながら、
電車を下りてくる。
相手は、隣の豊橋工業の生徒。
制服でわかります。
後で聞くと1学年上だったらしいのですが、
執拗に絡むのを見た僕らは、
「お前ら2人でやれよ。」
僕らは1人を何人かで囲むなんてことは
したことがありません。
絡まれた同級生が非戦闘タイプなら、
相手を代わったかもしれませんが、
彼もまたラグビー部員。
相手と比較して負けないだろうなあと
思ったからこそ、「お前ら2人でやれよ。」
そして、1:1ですので、仮に彼が負けたと
しても、仕返しなんてしなかったと思います。
まだ朝で、面倒くさいこともイヤでしたし。
すぐに、二俣線ホームの物陰へ移動し、
闘いが始まりました。
見物人の僕らの見守る中。
ワンサイドというか、一方的というのは
こういうことを指すのかと思うぐらい、
鉄拳パンチがバカバカ決まりました。
そして、しゃがみ込み、片手を極められた
相手が泣きそうな顔で言ったのは
「引き分けにしよめえ。」
で、この時、言葉を発したのが、以前、
「多分、時習館史上最凶の男」と書きました藤沢。
「てめえの負けに決まっとるじゃねえか!
バカか、てめえは!」
時習館と舐めたのかどうかは知りませんが、
自分から絡みに行き、1:1でやらせて
もらえた挙句、1学年下にワンサイド負け。
僕の周囲ではよくこんなことがありましたが、
進学校だから喧嘩が弱い、ビクビクしてなんて
思うのは、漫画の読み過ぎだわと思っていました。
2020.12.20
勝ったのは丹羽と言うんですが、彼は保育園
時代、「砂場の大将」という異名で園児という
園児から恐れられていた存在でした。
60年近く前の蒲郡市立南部保育園ですね。
砂場で誰かが遊ぼうとすると、暴力で砂場から
追い出すことを日課としていたそうです。
僕は、保育園・小学校が違いましたので、
「じゃあ、お前、砂場守ったって遊べんじゃん。
ずっと見張りで。」
と言うと、
「そうじゃん、ただただ、見張りをする毎日。」
と。
ですので、頭は元々弱かったと思います。
で、もう少し言うと、ラグビー部員だけれど、
小学生の頃から少林寺拳法をやっていて、
少林寺の段位持ちでもあったんですよね。
だから、ホームでの決斗の時も、
「負けるわけがない」と僕たちは思っていました。
そして、高校3年の時の相撲大会には
彼も出ていました。
でも、短パンを上に引っ張られ、両方のお尻が
半ケツ剝き出し状態になってしまい、それを
両手で隠そうとして早々に負けています。
やっぱり、頭に難があったと思います。
最終的に、彼は中央大学の法学部卒ですので、
テストは得意だったと思います。
ただ、頭の程度の本当の所は、
テストだけじゃ測れないんですよね。