当時、級長みたいな役割を時習館高校では
ホームルーム会長と呼んでいました。
ホームルームの時に進行役をしたりするのですが、
もう1つの仕事が日々の「宿題集め」でした。
前の授業の時に宿題が出ると、
次のその授業の始まる前にクラス全員の
宿題を集め、担当の先生に提出をします。
そして、1975年度の2年2組は、
私がホームルーム会長でした。
こう見えて、こういう進学校でもホーム
ルーム会長に選出されるなど、私、
ある程度は人望もあったんです。
まあ、これを担任の花井先生にやられた時ですけどね。
自分がちゃんと宿題をやって来た時は、
そりゃ率先して宿題をきちんと集め、
先生方に提出します。
問題は、自分がやって来なかった時ですね。
こういう時は宿題を集めません。
時代が鷹揚だったのか、その先生だけが
鷹揚だったのかはわかりませんが、
宿題を出したことを忘れてしまう先生もいたんです。
ですので、自分がやって来なかった時は、
敢えて、寝ているかもしれない子を起こすような
真似はしません。
宿題を持って何か言いたそうなクラスメートも
一切無視します。
「やあ、○○。宿題、集めにゃあかんじゃねえのか。」
と、真面目くさって言ってくる奴もいます。
でも、私の様子を見て、ほっとしている様子の
生徒も多数います(特に男子生徒)。
「いいんだわ、今日は集めん。」
で、授業が始まるとその先生の顔色を
窺い続けます。
そうした中、ある日、担任の花井先生に
呼び出しを喰らいました。
「○○、明日からホームルーム会長を佐々木に代われ」
時習館の長い歴史の中で、ホームルーム会長が
クビになったのは、これが最初で最後だった
ような気がします。(恐らく)
2020.11.24
その佐々木はバドミントン部のキャプテンで、
バドミントン部は、時習館では数少ない全国大会
出場を果たしていたクラブです。
ですので、たいしたものだったと思いますし、
本当に真面目な生徒でした。
その彼は大学生の時に、東京のアパートで
亡くなっていたんですよね。
同級生の中での最初の死亡例でしたので、
連絡を聞いた時は本当に唖然としました。
きっと、高校時代、花井先生に無理を
させられたせいですね。
それはともかく、ラグビー部の1学年下の
清水元という生徒も、大学生の時に部屋の中で
亡くなっています。
共に、死因は知らないのですが、1人暮らしで
なければ、ひょっとしたら助かっていたかも
しれないという気もします。
このブログを読まれている方の中には
1人暮らしの方もいらっしゃると思います。
そういう方々、本当にお気を付け下さい。