通用門を抜け、左手に自転車置き場、
まっすぐ抜けて右側が第一グランド。
相撲大会が開催された場所でした。
1回戦の相手は野球部の正キャッチャー近藤。
彼も卒業後は体育教師になり、各高校で
野球部の監督を務めたと聞きます。
ですので、飛松同様、ご存じの方が
いらっしゃるかもしれません。
彼は、180㎝超の巨体で、「巨人の星」の
伴宙太のようでした。
近藤のことをご存知の方がいらっしゃれば、
「確かに」と思われることでしょう。
そんなんがいきなり1回戦の相手でしたので、
そりゃつらかったです。
取組前に「事実上の決勝かもしれません」
というアナウンスが流れましたが、自分では、
「近藤がそうなのはわかるけど、俺も?」
と思っていました。
そして、立会い。
組んだ瞬間に「勝てない」と思いました。
筋肉量の差が許容範囲を超えていることが
すぐにわかりました。
で、そういう時には使ってた子供の頃からの
必殺技ですね。
わざと力を抜いて相手が出てくるのを待ち、
無警戒に出てきたら横に動いて戦法。
これで、何人もの上級生を倒して来ました。
近藤は可哀想にこれに引っかかり、両手を
バタリ土俵についてしまう結果となりました。
卑怯と言えば卑怯なんですが、組んだ瞬間に
そう判断し、すぐそのように動けるというのも
センスだと思います。
そして、確かに「事実上の決勝」だったと
思います。
私の感覚でも、近藤が一番強かったと思います。
2020.12.4
近藤は当時1学年18クラスというマンモス中学、
豊橋南部中学の出身です。
そこのバッテリーが中田と近藤で共に180㎝超。
多分、時習館OBが野球部を強くしたくて、
この2人を時習館に入学するよう画策した
んだろうと思います。
当時、豊橋1群に合格しても、時習館と
豊橋南に振り分けられましたが、彼らは
特選ルートだったのでしょう。
他の1年生は玉拾いばかりの中、1年夏から
レギュラーとなり、時習館は彼らの3年時、
夏の甲子園愛知県大会ベスト8。
たかがベスト8と思うかもしれませんが、
愛知大会では当時も相当価値のあることであり、
時習館としては何十年ぶりかの快挙でした。
ただ、私、応援団員でもあったんですよね。
みんなが夏休みといえど補習、補修で登校
している中、裸足、学ランで連日、炎天下の
コンクリートの上。
もう負けるだろと思っても、勝っちゃう。
豊橋市営球場、半田市営球場、最後は
尾張の方の球場まで出向いての応援。
相撲大会の時は、それもあって近藤が
負けてくれたのかもしれません。
ちなみに野球部のホームページを見たら、
ピッチャーの中田(姓は変わりましたが)が、
OB会会長に選出と載っていました。
彼は、時習館⇒愛知大学⇒豊橋市役所と、
ずっとピッチャー一筋でした。
多分、ほかのことは一切、何もやってない
と思います。
中田のことですから。
彼がピッチャー以外のことをしていたのは、
スキー合宿の時にしていたビリヤードしか
記憶にありません。