The Legend of Jack Nicklaus
The Legend of Jack NicklausⅡ
さすがの俺もとうとうなあ・・・
堪忍袋の緒が切れた。
「こうやって書くんだ」
という見本を教えてやるから
ちょっとは勉強しろ。
ごるぴーって奴が
20年近く前に書いたやつだ。
まもなく20世紀が終わろうとしている。
この100年の間には数多くの
名プレーヤーが誕生したが、
今世紀最高のごるふぁ~は誰か?
という問いについては、
ジャック・ニクラウスである
との見解で、世間ではほぼ異論がない。
私個人的には、
球聖と呼ばれたボビー・ジョーンズを
ひいきにしたいところではあるが、
メジャーのタイトル18冠
という金字塔を考えると、
やはりニクラウスに軍配を上げねばなるまい。
彼がジュニア時代からプロ入り直前までに
打ち立てた輝かしい記録は、
残念ながらタイガー・ウッズという
化け物によってことごとく塗り替えられた。
だがそれでも当時は、若きニクラウスが
ごるふの才能が服を着たような選手
であったことは間違いない。
そんな彼の怪物ぶりを示す
エピソードが1つある。
1960年、18歳にして
世界アマチュア選手権の日本代表メンバー
に選ばれた中部銀次郎の成績は、
惨たんたるものだった。
フィラデルフィア郊外にある
メリオンカントリークラブは、
名にし負う難コース。
初日は中部だけでなく多くの選手が
スコアを乱し、アンダーパーで
ラウンドする者はいなかった。
自分のふがいなさに
深くうなだれていたところ、
ニクラウスが18番グリーンにやってくる
という声を聞き、
中部はその様子を見に行った。
この時、ニクラウスは
オハイオ州立大学の3年生で、20歳。
ボビー・ジョーンズの再来と言われ、
若くしてアマチュアごるふ界の頂点に
立っていた男である。
この大会の3ヶ月前、
アマチュアの資格で出場した全米オープンでは
アーノルド・パーマーと死闘を繰り広げ、
惜しくも逆転負けで2位となるほどの
活躍を見せていたので、
彼の名を知らぬ者はいなかった。
中部が18番グリーンに駆けつけた時、
ニクラウスが1メートルちょっとの
バーディーパットに臨むところだった。
ところがあろうことか、ニクラウスは
そこから3パットしてボギー。
それを見届けた中部は、
なぁんだ、ニクラウスったって、
あんな程度か。と思った。
だが、スコアを聞いて仰天。
66だというのだ。
中部は率直に、
こんな奴にはとてもかなわない
と感じたそうである。
ちなみに、中部の4日間のスコアは、
84・83・82・86だった。
なっ、こういうとこをちゃんと書くと、
『ジャックすげえ!』ってなるだろ?
だって、誰もアンダーパーがいないのに、
1mから3パットしても俺だけ66だぜ。
それもまだ20才(はたち)。
それも世界アマチュア選手権で。
そりゃ凄いよ。
1日で終わるのはもったいないから、
続きはまた明日だ。
いいか、別の話を書くんじゃないぞ、
明日、この続きだ。
忘れるなよ。
Don’t forget it!
2018.3.26